希死念慮の私。
「死にたい」「死んでみたい」「生きたくない」
そう考える私は、希死念慮者。
本当に死にたいわけではない。
こんな私なんかの為に悲しむ人が沢山いて、それを想像すると自殺行為なんて馬鹿らしく思えてくる。
でも、死にたいと思ってしまう。
生きづらさがある。
誰かに首を絞められているような、呼吸がうまくできなくなる。
この悶々とした感情と共に生きていくことは必然なのか?定められた運命なのか?
死にたいのに、死ぬことができない
こんな矛盾を抱えて生きていかなければならない。
なのに、どうやって私自身を納得させていけばよいのだろうか。
死ぬという選択、死ぬという生き方を
認めてもらうことはできないのか。
死という選択肢以外に、他に何があるのだろうか。
「空間」と「時間」
70億人もの世界人口の中で、私はただ一人
顕微鏡でも見えないぐらいに、ちっぽけな存在。
そのちっぽけな人間の悩みなんて、宇宙から見ればはるかに小さいもの、
そんな「空間的視点」
辛いこと、苦しいことは永遠ではない。
いつか終わりがやってくる。
陽はまた昇る。
現時点で辛いこと、苦しいことに直面した時、それが永遠であるかのように感じてしまう。
でも「始まり」があるように、「終わり」がある。
そんな「時間的視点」
この二つの視点を持ち合わせて生きていくことはできるのかもしれない。
でも、この希死念慮の感情とも
必然的に共に生きていくことになるのだろう。