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地方消滅部落にプラットホームをつくり、人に地域に生活の潤いと活性化をもたらしたい




みなさん、部落という言葉から
どんなイメージを描きなにを想像しますか?

例えば···こんなかんじでしょうか。
暗い歴史がある。
差別用語っぽい。
身を寄せあって生活。
なんとなく諦めがちな空気が蔓延している。
表面化しづらい。
貧困がつきまとう。
色に例えるとグレー。くすんでいる。

それとも自分には関係ないことで、
興味関心さえ持ったことがない人も少なくないかもしれません。


基本編:部落差別って、なんですか? | ふらっと 人権情報ネットワーク
https://www.jinken.ne.jp/flat_special/2007/09/post_3-4.html


みなさんは、同和問題をご存知ですか?|品川区
https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/PC/kuseizyoho/kuseizyoho-zinken/kuseizyoho-zinken-keihatsu/kuseizyoho-zinken-keihatsu-tobira/kuseizyoho-zinken-keihatsu-tobira-iino/hpg000009924.html



定義が曖昧ですよね。
歴史的イメージが先行しており、
実際のところ、正直よく分からない存在といえますね。


先人たちが生きた歴史の中に組み込まれているものの、
では今はどうなっているの?
今の世の中に部落は存在しないのかというと。


存在するんです。部落。


農村部で民家が集まっている箇所を「部落」と呼びます。
住人達が自らを内側から自称する際に「うちの部落は···」などと表現する場合に使うことが多いです。


部落の機能としては、
都市部のみなさんが住宅地の自治会やマンション管理組合を持つのと同じように、回覧板や子どもたちの登校班、など
農村部で自治機能を持ち、自治会費はもちろんのこと自治会長や班長さんが居り、住みやすい地域づくりの構成員として市区町村に存在しています。





首都圏にいると感じることは少ないのですが、
日本全国は、実は「地方」で構成されています。


日本地図を改めて眺めてみましょう。
殆どが地方です。山が連なり日本列島があります。


そして、首都圏からみたら「地方」ですが、
その「地方」では毎日人々が生活しています。
食べて、寝て、笑って、泣いて、スマホみて、
勉強したり、恋したりしながら、
人々が生きています。



その各地方、メインターミナル周辺は賑やかなものの、
少し車を走らせると、間もなくして田畑や工場が広がり、
山があり川が流れる風景となります。
ローカル感が一気に出て、空気も一段と澄んだように感じられます。


たとえば。
地方で生まれた子どもが進路を考える年齢に成長し、
大学進学と共に上京しそのまま就活をしたら
余程の決断をしない限り帰るタイミングを失います。
結婚していたり、家族が居たら尚更です。


言うまでもなく
地方では少子高齢化が猛スピードで進んでいます。



田舎、もしくは実家のおじいちゃんおばあちゃんの畑で
採れたての野菜を頬張った経験がある人も少なくないでしょう。


太陽と地熱で温まったトマトやきゅうりをかじると
太陽の味がします。
蔦でからまった中からみつける、温かいスイカ。
触ったことはありますか?


冷たい水場でスイカを冷やすため、
ずっしりとした重みの温かいスイカを
落とさないように慎重に慎重に、運びます。


水場について、緊張感とともに
ゆっくりとスイカから手を離す、あの安堵感たるや。


水はキラキラ弾け、スイカの上を流れていく。
川だったりホースと桶やバケツだったり
風景は色々ですね。


冷えたスイカを皆で食べる、
ワクワク夜が待ち遠しいあの感じ。

夕餉の時間には、
茹でたての山盛りトウモロコシに枝豆。
湯気がもうもうとあがるそれらを大きなザルにあげて
大胆にお塩をふりかけます。


冷えたスイカは まな板の上。
よく切れる包丁で、ザクッザクッと両端を落とすと、
「赤だ!」「黄色だ!」
と実の色が判明するあの楽しさといったら!


「たべすぎるとおなかこわすよ」なんていわれながら、
もう1本、もう1切れ、と
手を伸ばすあの優しい日々。


「うちの部落でとれたトウモロコシは最高、土がいいからね」
なんておばあちゃんの自慢話を
聞いた経験のある人もいるのでは。




なんとなくネガティブなイメージがつきまとっていた「部落」という言葉。
実は、全然、暗くないんです。
ネガティブじゃない
ひとつの名詞にすぎない一面があるんです。


びっくりしましたか?


ざっくり言えば、
民家が集まった地域の定義を部落とするならば
歴史上使用されていた言葉と、
たまたま農村部の内々の呼び方が同じなわけで。


そこが、ごちゃまぜになったまま、
定義が曖昧になっているのが過去~現在の状態なんですね。


"百姓"という言葉も今は差別用語ですが、知らずに使っている人も多いかもしれません。
農村部で暮らす人々が「我ら百姓は·····」等と他者と話す時に砕けた感じで使うこともあるでしょう。



その道一筋でずっと生きてきて、
プロ意識・職人意識の高い人ほど、内々の呼び名を使うのかもしれません。
餅は餅屋、桶は桶屋、というように。




今この文章を読んでくださっているあなたへ。




実家の田んぼ、今は親父がやってるけど
これからどうしようとか、母さんと話したりしてんのかな。

もう俺の代でおわりだな、なんて
チラッとこないだ酔った親父が言ってるの聞いたけど····

俺が大学でて
そのまま東京就職したとき、すげぇ喜んでくれてな。
帰ってこいとか言われたこともない。
妹も県外の男と結婚するらしいし。

親2人かあ。
帰って転職しようにも、仕事もないしなぁ····
まさか田んぼじゃ食えないし。

どうするんだろ。
どうしたらいいんだろうなあ。






部落ってたしかにうちの実家では言うけど、
わたしって部落の生まれってこと?
それってダメなの?
結婚するとき出生調査とかされちゃうの?
イヤだなんで?なんで?意味わかんない。


田舎生まれって、恥ずかしいと思ってた。
彼氏ができても連れていきたくなかった。


でもそれって、わたしのルーツや、
わたしの家族をも否定してるみたいで
なんとなく、心苦しかった。


でも、この文をよんで、
あ、なるほどって思えたところがいっぱいあったから。


なんか良かった。元気でたわ。
恥ずかしがらなくていいよね。

今度彼氏つれてこ。





部落という単語に対するイメージ、
この文章に出会う前と後とでは変化があったなら、嬉しいです。

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