運の良い人
世の中には本当に運が良い人というのがいて、困難を一歩の差ですり抜ける様はもはやハリウッド映画もびっくりであったり、トムとジェリーのようなアニメーションを実写で忠実にやっているのかと言いたくなるくらい笑ってしまうようなギリギリの展開で乗り切っていたりする。そんな人の中には言葉は悪いがポジティブバカ、生まれながらのナチュラルポジティブっ子としか言いようのないような、真似したくても真似できないくらいのポジティブな人というのもいる。
運の良い人は大抵、頭の中にうまくいくイメージしか持っていない。根っからのポジティブ思考な人もいるし、努力してポジティブな思考を維持している人もいる。努力型ポジティブはハリウッド映画のようなドラマチックな展開も多く、根っからのポジティブバカの場合はアニメーションの実写版のような話が多いように思う。
私はついネガティブ思考になりがちなので、そういったポジティブで頭の中を占領できるような人を羨ましいなと思っていた。私はどこかで、良いことが続くわけがないだとか、悪いことも良いことも同じくらい起きるはずだとか言う謎の理論を展開し続けていた。けれど色々な感情を経験したり周りの人たち様子を観察したりしているうちに最近気が付いたのは、果たして本当に人生にはネガティブな側面が必要なのだろうかということだった。
世の中は「風の時代」というものになったらしく、色々な解説が出ているが、私なりに受け止めているのは、どんどん色々なものが軽やかになって風のように駆け抜けていける時代になっていくのかなという印象だ。ちなみに「風の時代」の前が「土の時代」であり、こちらはどっしりと地に足つけて重心も重ければ重いほど揺らがないから安心だぞという印象がある。「土の時代」にいたときはちょっとした変更や移動も一大イベントであり大騒ぎなことだったが、風の時代になると、「そういうこともあるよねぇ」くらいの捉え方に変わる気がしている。
そんな「風の時代」において、あえてネガティブなことに注目する行為がナンセンスなように感じてきたのだ。ケーキの上に飾られたチョコレートの板だけをつまみ食いして、嫌いな生クリームは見なくて大丈夫な時代。そもそも嫌いな生クリームは初めから作らなくてよくて、チョコプレートだけをお皿に何枚も並べて食べたって全く問題のない時代。そんな印象すらある。
もちろん自分の人生の課題や都度都度の問題にはしっかり向き合って対処して行かねばならないとは思うのだが、だんだんとネガティブな空気そのものが辛くなってきた自分がいる。もちろん自分自身の思考の癖はネガティブに偏りがちというのは把握した上でなのだが、それでも自分も変わってきたのかもしれないし、結果周りも変わってきたように見えてきた。どういうわけか関わる人も変わってきた。ちょっと前まで頻繁に会えていた人になかなかタイミングが合わなくなって、全然会えなくなったりもしている。ちょっと前までよく出かけていたエリアに用事がなくなって、違うエリアに用事が増えるようになったりもする。
私たちはあくまでも自分の目線からの世界の観察をするしかない。自分が変われば世界の見え方も変わってくるのは必然なのだ。目には見えない無意識下の何か、本当にたくさんの要素が、私たちの毎日に関わっていると感じる。たった一つの変化は他の要素に影響を及ぼし、その隣の要素にも波紋を広げ、どんどん変化は大きくなる。
最近自分のためにホロスコープを読む勉強をしているのだが、星読みをするときにもなるべくポジティブな要素はないかと探している。もちろん「こらあかん」みたいなこともあるのだけれど、それでもなんとかあらゆる方法で自分の心が軽くなっていくようなポジティブ要素を見つけて、発見次第そこに集中して意識を向けるようにする。
ここ数年、道具を使う占い系のものはもっぱらオラクルカードを愛用しているのだけれど、それもポジティブな面に集中したいからだ。タロットカードは今の私には重苦しすぎて地面に吸い付けられるようなどっしり感を感じてしまうので、辛くなってしまう。
オラクルカードはポジティブなことしか書かれていないことが多く、ダメ出しされたくなるとオラクルカードだけでは不満に感じてタロットカードも併用するという人もいるようなのだが、確かにその気持ちは私もわかる。かつて私も2回ほどタロットカードを使ってみようと挑戦して、結果的に2回とも見事に挫折した。重い。タロットは私にとって、とにかく何だかとても重いのだ。
私は占いも星読みも、ポジティブでなりたい自分で在るために活用していきたいと思っている。パッと見たときの状況が絶体絶命と思われるような時でも、もしもそこに1%の可能性があるのなら、その1%を確実に指先で摘んで、そこから人生をポジティブにこじ開けられる人になりたいのだ。