平凡な座敷童子
あるところに一人の座敷童子がいました。座敷童子を「一人」と数えるべきかは分かりませんが、その一人の座敷童子が住み着いていたのは小さな村の小さな家の一番奥にある小さな畳の部屋でした。座敷童子といえば畳と相場が決まっています。時代とともに建て替えられた家には畳の部屋が無くなることも少なくありません。しかし幸いにもその一人の座敷童子が住み着いていた家にはずっと畳の部屋が残っていました。
座敷童子はいつから自分がそこにいるのか思い出せないでいましたが、人間の何世代にも渡る時間をその家で過ごしていました。四畳半のその畳部屋は時に老婆の部屋になり、時に子供部屋になり、時に家族全員がぎゅうぎゅうに押し込まれるようにして眠る部屋にもなりました。そしていつしか戦争も終わり、経済が発展してきて、その小さな村にも都会の発展の影響が見え隠れするようになり、村の人々にも豊かさを感じる日々が訪れました。
その間、極端に貧しくなることも、とてつもなく大金持ちになることもなかったその家で、一人の座敷童子は「何事も中庸が良い」と呟きながら、畳に大の字に寝転がって窓から雲の流れを見つめ、のんびりと暮らしていました。
「実に平穏である。」
座敷童子は満足そうな表情で毎日うたた寝をするのでした。
定番の説として、座敷童子のいる家は経済的に豊かになるだとか、一族が繁栄するだとか言われています。しかしその評判に座敷童子はいつも一言物申したい気分を燻らせていました。
「勝手に座敷童子の効果効能をうたわれても困る。座敷童子は座敷にいるから座敷童子なのであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。もちろんお世話になった家には感謝の意を表することがあるし、それが結果としてお金になったり家が繁栄したりすることがあるけれど、必ずしもそうでなければいけないわけではない。座敷童子にも気持ちがあって、何をするかは自由なはずなのに、社会から座敷童子的役割を押し付けられているかのようで、もうたまらん。」
と日々思っていたのです。
その拗らせた気持ちが原因となり、座敷童子は長い間その家の人たちの前に姿を現すことが出来ずにいました。妙な期待をされて精神的に追い込まれてはたまらないと思っていたのです。それに社会の描いた座敷童子像通りの期待に沿って何かをするのも、なんだか癪だと思っていました。その一人の座敷童子は、小さい村で暮らしながらも常にリベラルな思考を持っていたのです。家に届いた新聞をこっそり読み、誰もいない時にラジオをつけてニュースを聞き、時代が進むとテレビも内緒で見るようになりました。そして「ふん、世の中宝くじだ儲け話だと金のことばかりだな。」と思ってブツクサ言っては、自分の座敷でゴロゴロと寝返りを打ちながら、これからどうしたものかと考える日々を過ごしていたのでした。
そんなある日のこと、その家に子供が生まれました。もちろんそれまでも家に赤ん坊が生まれることはあったのですが、今回ばかりはちょっと勝手が違います。その子供には、どうやら座敷童子が見えてしまうようなのです。そっと眠る赤ん坊の顔を覗き込む座敷童子を、きゃっきゃっと言って手を伸ばしてきて触れようとしてきます。初めの頃は気のせいかと無視ししていた座敷童子でしたが、次第に本当に見えてしまっているのではないかと不安に思うようになりました。これまでその一人の座敷童子は人の目に触れずに過ごすことを己の第一の信条としていたため、誰からも見えないように術をかけていました。しかしどうにもこの赤ん坊からは自分のことが見えているとしか思えないのです。まさか自分の術が弱くなっているのだろうかと怖くなり、押し入れの中から襖を少しばかり開けて部屋の様子を覗き見る毎日になりました。それでも赤ん坊はなぜか座敷童子の片目が襖の隙間からのぞいているのを目敏く見つけては、指差しながら楽しそうに笑うのです。座敷童子はいよいよ押し入れから出られなくなり、恐怖に膝を抱えながら小さく丸まって過ごしていました。
座敷童子が押し入れ童子になって数年が経ち、赤ん坊も大きくなり小学校に通う年齢になりました。流石にそろそろ見えなくなっているだろうと思った座敷童子は、ある時エイやっと押し入れを飛び出します。すると目の前には小学校2年生になったあの赤ん坊が立っていました。突然押し入れから誰かが飛び出してきたのですから、驚かないわけがありません。ハナちゃんと呼ばれているその小学2年生になった元赤ん坊と座敷童子は、しばらく部屋の真ん中でお互いを凝視しながら立ち尽くしていました。座敷童子は考えます。「今、この子には自分のことが見えているのだろうか。いやいや、押し入れで何か物音がして驚いているだけかもしれない。見えていない、見えていない、見えていないはずだ。」しかし座敷童子の期待も虚しく、先にハナちゃんが声を発しました。
「こんにちは。」
座敷童子は一瞬で全身の産毛が逆立ち、旋風になって思わず家を飛び出しました。まさにお化けに遭遇した人間のように背筋が凍る思いです。
「なんで自分が逃げないといけないんだ」
と考えながらも、もう体は家を飛び出していました。
座敷童子といえども、ある程度の範囲ならば座敷から離れることもできます。個々の座敷童子の能力にもよりますが、その一人の座敷童子は自分のいる小さな村の端から端くらいまでは出かけることができました。
さて、座敷童子が駆け込んだのは3軒先にある龍神の家です。
「龍神さん、龍神さん、ちょっと一大事なんですよ。開けてください。」
と血相を変えて飛び込んできた座敷童子に、龍神もこれは只事ではないと起き上がります。
「何事ぞ、この全てが穏やかな春の午後に。」
社の扉を開けた龍神は、紙のように真っ白になった座敷童子を見て、慌ててお供物の卵と水を差し出しました。
「まあ、まずこれでも食べて飲んで一息つきなさい。一体どうしたと言うのだ。」
と問うものの、座敷童子は慌てるあまり卵にむせ返り、水も撒き散らしながら飲む始末で、話の内容ももちろんもとっ散らかっています。ようやく息を整え落ち着いたところで改めて順序よく話を聞いてみれば、座敷童子の身を隠す術が薄れてきているようだと言うではありませんか。
「そりゃあ、つまり、潮時ってことかもしれないなあ」
と龍神は答えます。
「潮時ってなんですか、潮時って。ちょっと前に大きな津波はきましたけど、今日この頃は潮はちゃんといつものように引いたり満ちたりしていますよ。なんですかそれは。」
と興奮がおさまらない座敷童子に龍神はゆっくりと言葉をかけます。
「あのな、時代も変わる、人も変わる、家も変わる。我々は変わらないが、だからと言ってそのままで良いとは限らない。人の近くで暮らしている限り、我々も変わらざるを得ない時があるのだよ。そもそも我々は人の概念が生み出したもの。人の認識が変われば、我々だっていつまでもそのままではいられない。座敷童子よ、これからどうしたいかよく考えるのだ。自分のことだ。自分で決めたらいい。人のそばにいることを選ぶもよし。また違う土地に移るもよし。始まりの源に還るもよし。そなた、少々その家に長く居過ぎたのかもしれないな。ともかく帰ってよく考えなさい。」
龍神はお供物の中から座敷童子が好きそうな菓子をいくつか持たせて家に帰らせました。しょげかえった座敷童子の背中を見ながら、龍神はため息をつきます。
「人に翻弄されるとは、なんと生き辛いことよ。」
それから数ヶ月、座敷童子は押し入れ童子になったまま、ずっと考え続けていました。
「一体どうしたらいいんだ。なんとかしなければ。このままでは押し入れ童子という新しいキャラになってしまう。この国には青い猫型ロボットという国民的人気押し入れ童子がすでに存在している。もはや今から押し入れ童子になったところで、どこにも入り込む余地はない。かといって猫型ロボットのフリをして生きていく気にもなれない。あいつは万能すぎて、時空間を自在に飛び回り、いかなる時にも人の役に立つ切れ者だ。今やその知名度は世界を股にかけた人気アイドル級でもある。それならまだ座敷童子の方が気が楽かもしれない。しかし術が弱まっては生き辛い。これまで通り静かに暮らしたいのだ。どうしたものか。」
何度考えてみても、堂々巡りです。そしてある日、座敷童子ならぬ押し入れ童子になりつつある一人の元座敷童子は決心します。
「よし、これ以上考えても仕方がない。そもそも座敷童子なんだから、こそこそと押し入れに隠れているのはおかしいじゃないか。そうだ、堂々と座敷にいれば良いのだ。」
そうして押し入れから飛び出し、めでたく「元」が取れて正しく座敷童子に戻ったところで、ハナちゃんが小学校から帰ってきました。
このハナちゃん、物静かな性格で、家でも宿題はきちんと早めに片付け、そのあとは図書館から借りた本を読んで過ごすのが好きな大人しい子供でした。幼い頃から周りの大人たちの空気を読むのが得意で、お母さんがイライラしていそうな時には触らぬ神になんとやらとばかりにスッと自分の四畳半に引っ込むので、どういうわけかお母さんの雷が落ちるのは決まって6つ上のお兄さんなのでした。
「ハナはいつもずるい。お母さんが怒りそうな時はいつも居ないんだ。」
お兄さんは元気いっぱいで、お母さんに叱られるのも、いつものことでした。
そんな静かで察しの良いハナちゃんでしたから、自分の部屋に小さい頃から時々見かけていた座敷童子が押し入れの前でギョッとした表情をして立ち尽くしているのを見て、「これは話しかけない方がいいのだろうか」と思い、ひとまず気付かぬフリをしながら座敷童子の目の前を通り過ぎてランドセルを机の上に置きました。
座敷童子は「おや」と思います。自分の術はやっぱりまだまだ健在だったのではないか。座敷童子はハナちゃんのそばに、そろりそろりと近づいて、そっと顔を覗き込みます。ハナちゃんはランドセルから漢字練習帳を出し、机に向かって今日の宿題を始めました。
「今私が目を合わせたら、きっとまた座敷童子は驚いて逃げていってしまうわ。」
そう思ったハナちゃんは、座敷童子を無視することにしました。実はハナちゃん、これまで朝晩の布団の上げ下ろしの時、押し入れを開けるたびに、隅っこの方で丸まっている座敷童子の背中を見ては、なんだか申し訳ない気持ちになっていたのです。
「とても恥ずかしがり屋さんなのね。でもずっと押し入れの中では窮屈で可哀想。私が驚かさなければ、きっとのびのび楽しくいられるわね。」
さすがはハナちゃんです。座敷童子はハナちゃんが見えないフリをしてくれていることに全く気がつきません。
「なあんだ、取り越し苦労だったのか。焦った焦った。いやいや、これで正真正銘座敷童子としてまたのんびり暮らせるぞ。」
座敷童子は宿題をするハナちゃんの後ろで、久しぶりに思う存分畳の上で大の字になり、昼寝をしました。
それからというもの、座敷童子とハナちゃんは、同じ四畳半にいながらお互いが存在していないかのように過ごす毎日を送りました。
「これは家庭内別居ってやつだな」
座敷童子は一家が留守の間にこっそり楽しんでいる昼ドラで覚えたての言葉をモゴモゴさせながら、今日も座敷童らしく、畳の上でゴロゴロと寝転がっています。
すると珍しく、今日は近所に住むハナちゃんのお友達が家に遊びに来ました。龍神さんの家とは反対側2軒隣に住むコトミちゃんは、生まれつき体が弱く、学校でもあまり活発には遊べません。静かな性格のハナちゃんとは話しやすく、二人は仲良くなったのでした。
そんなコトミちゃんには、実はもう一つ、生まれつきのものがありました。幽霊が見えてしまうのです。そんな話をすると、そのくらいの年齢の女の子たちからは「いいないいな」と羨ましがられそうですが、コトミちゃんにとっては一大事。幽霊が見えると決まって高い熱が出ます。布団に横になり、熱にうなされていると、幽霊が近くに寄ってきて、じっとコトミちゃんを見つめるのです。その幽霊たちは、コトミちゃんのお婆さんだったり、全く知らない人だったりするのですが、あまりにもはっきりと見えてしまうので、コトミちゃんはいつも苦しい思いを抱えていました。だからコトミちゃんが幽霊を見てしまうことは、コトミちゃんとコトミちゃんのお父さん、お母さんしか知りませんでした。「幽霊が見えるだなんて気持ち悪いに決まってる。お友達が減っちゃうわ。」そう思っていたコトミちゃんは、このことを他の人には言わないようにしていたのです。仲良くなったハナちゃんにも秘密にしていました。
座敷童子はここのところ、ハナちゃんから見えていないと思い込んでいたのをいいことに、すっかり油断をしていましたので、コトミちゃんがハナちゃんに連れられて部屋に入ってきた時もいつものように窓辺で頬杖をついて、雲の形が饅頭に見えるか、はたまたうさぎに見えるかを考えていました。
部屋に入るなり、コトミちゃんはギクリとして思わず一瞬立ち止まります。しかしすぐに「ああこれは、普通は見えないもののはず」と思い至り、窓辺の座敷童から素早く目を逸らしました。ハナちゃんも、いつものように見えないフリをしています。
ハナちゃんとコトミちゃんは一緒に宿題の算数ドリルを済ませてしまい、そのあとはハナちゃんが最近買ってもらった可愛いピンク色のトランプで遊ぶことにしました。二人が夢中になったのは神経衰弱と呼ばれるカードの柄の記憶力で競うゲームです。交互に2枚ずつトランプをめくります。2枚の柄が揃えば、そのカードを自分の持ち札にして、続けてもう2枚カードをめくることができます。最後に手元にカードがたくさんある方の勝ちです。二人は何度も神経衰弱ゲームを楽しみました。座敷童子は、二人の楽しそうな様子が少し羨ましくなり、窓際からじわりじわりと畳の上に広げられたトランプの方へと近づいてきます。最後は自分が見えていないのもすっかり忘れ、「ああ、そこじゃない、こっちだこっち」とゲームに加勢する始末。ハナちゃんもコトミちゃんも実は座敷童子のことが見えていますから、自然と座敷童子の席を空けるように座り、三人で神経衰弱をしているような具合になりました。
「ああ、楽しかった」
二人と座敷童子の三人は、村のスピーカーから夕方になると流れる音楽が鳴るまで、時間を忘れて楽しみました。
そうやって、この二人と座敷童子は、時々この四畳半でちょっと奇妙で楽しい時間を過ごしていったのです。
そして時は流れ、ハナちゃんもコトミちゃんも、中学生になり高校生になり、大人になって小さな村を出て働くようになりました。座敷童子は相変わらず、呑気に悠々自適な座敷童ライフを堪能しています。
しかしいつまでもそんな時は続かなかったのです。
ある満月の夜のこと、座敷童子は自分の体が透き通り始めたことに気が付きます。
「ややや、何事だ」
とまたも慌てて3軒隣の龍神の家に駆け込みました。
「お前は困った時にだけやってきて。まるで人間のようなやつだの。」
龍神は呆れ顔ですが、座敷童子が半透明で今にも消えそうな様子を見て、「ははん」と煙を吐きながら鼻を鳴らします。
「お前、そろそろ時が来たのだな。」
「時ってなんですか、時って。消えちゃうよう。助けてよう。」
座敷童子はもう泣きそうです。
「座敷童子よ、お前はもうその家でのお役目が終わったのだよ。源に還るのだ。なあに、生まれたところに戻るだけさ。大したことじゃない。ただその家にはもう居られないってことよ。」
龍神が穏やかに優しく話すのとは対照的に、座敷童子はみるみる青ざめ慌てふためき、龍神の家の畳に突っ伏しました。
「いやだあ。離れたくないよお。」
泣き叫んでみたものの、座敷童にもどうにもならないことは分かっていました。ひとしきり大泣きし、泣き疲れたところで龍神がまた優しく言います。
「座敷童子、楽しかったのう。お別れじゃ。また会うこともあろう。さあ、最後は自分の座敷から源に旅立つのが良い。早くお帰り。」
そう言って龍神は座敷童子を優しく送り出しました。
すでに輪郭がかなり曖昧になり始めた座敷童子は、ぐずぐずと泣きながら半透明の顔の上を半透明な涙と鼻水でぐしゃぐしゃにして自分の家に帰りました。
「ああせめて、ハナちゃんとコトミちゃんにはお別れを言いたい。」
そう思った座敷童子は、慌てて二人の元へ向かいます。大人になったハナちゃんは、看護婦さんになって夜勤の仮眠中でした。コトミちゃんは都会の大きな会社で事務職に就き、こちらも小さなアパートでぐっすり眠っています。枕元に立った座敷童子は、二人それぞれに
「楽しかったね。」
と言って笑顔で寝顔を見つめました。時間にしてわずか数秒の出来事でした。
ハナちゃんとコトミちゃんは、別々の場所で夜中にハッとして飛び起きました。「今、座敷童子がきた。」二人ははっきりとそう思いました。
それから何年も何十年もが過ぎ、ハナちゃんの子供や孫の時代になって、ハナちゃんと座敷童子の思い出の家がどうなったか。座敷童子が消えたあと、大地震に大火災、津波に洪水と、どういうわけか度重なる自然災害に見舞われ続けたその村は、そこにかつて村があったこともわからないほどの様子になり、今は背丈の高い草がみっしりと生い茂っています。座敷童子はハナちゃんの家を大金持ちにもしなかったし、誰もが羨むような幸運の嵐ももたらさなかったけれど、ただそこにいることに大きな守護神としての役割を果たしていたのです。
「何事も中庸が良い。」
座敷童子が大の字に寝転びながらつぶやいた声が、風にそよぐ草の間から聞こえてきます。
3軒先のあの龍神はどうなったかって?龍神は座敷童子が消えたのを潮時と見極めて、さっさと引っ越し先を検討し始めました。そして幼い頃から参拝に来ていた女の子の家にちゃっかり移り住むことにしたのです。今は首都で暮らすその女の子というのは、実はあのコトミちゃんの一人娘です。人ではないものを見る力をコトミちゃんから受け継いだ娘は、アーバンライフにすっかり馴染んだ龍神とともに、人並外れた幸運に恵まれた暮らしをしているそうです。