うのりえ詩集『雲を投げる』と無職通信vol.1
久しぶりにすごい文章に出会った。
本と薔薇のイベント「第1回サンジョルディ鎌倉」に立ち寄った時、偶然出会った一冊の本と新聞のような形をとった1枚の紙。
作者の名前は、うのりえ さん。
詩人である。
直感的に面白そうだなと思い、ご本人が売り場にいらしたので、ポツポツとローカル話をしながら、やっぱり気になるので購入してきた1冊と1枚。
待ちきれずに帰りのバスの中で、さっき手にしたばかりの本を開く。
タイトルは『雲を投げる』
2024年今年の3月に初版が発行されたばかり。
巻末にエディションが手書きで書き込まれており、
私が購入したのは49/111だった。
初版は限定111冊のようだ。
この本には
・五行五年日記
・きょうはいいひ
・雲を投げる
・帰り道
・夏
という5つの詩と
短い文章
・肩書きのこと
・あとがき
が掲載されている。
売り場にあったサンプル本を手にした時の質感と、
文字とレイアウトと色調のバランスの心地よさ
そして何よりも「肩書きのこと」のページにあった冒頭の文章に
ピンとくるものを感じた。
バスの中で最初のページからめくると、どこにも阿らない言葉が濃密に印刷されていた。
一つ一つの詩を、丁寧に読み進め、第一印象で目についた「肩書きのこと」のページまで読んだ時、ぐっと胸が詰まった。
これほどまでに心の中にあるモヤモヤを言葉として正直に、格好つけることなく、文字として表出することができるだなんてと衝撃を受けた。おそらく私はバスの座席で泣きそうなような驚いたような支離滅裂な表情になっていたと思う。
社会に出ると人は肩書きに縛られやすい。
初対面の人に聞かれるのは、肩書きだ。
りえさんも書かれているように、私も実はこの混乱を何度も味わったことがある。
以前の巨大芸能事務所に所属があった時ですらそうだった。
「麻里さんって何の人って言ったらいいんですかね」
何度もそう聞かれた。
ある意味ではマルチであったし、ある意味ではどの肩書きにしてもなんか違うな、と多くの人が感じていたようだ。司会者と断定するのも違う。モデルさんとだけ言うのも違う。俳優業もしているけれど俳優だけをメインでやっている感じともなんか違う。バラエティ番組に出るようなタレントのようなイメージでもない。イベントのMCもやるし、テレビ番組で市長さんや銀行の頭取さんなどと対談もする。CMにも出させてもらうし紙媒体の広告撮影にも行く。時々ドラマや映画にも出させてもらうし、展示会でのナレーターさんなども機会がある。一体、何者なのだろうかと私も周りも捉え所のなさに戸惑っていた。
それは事務所を辞めた後ももちろん続くわけなのだが、ますます所属がなくなりフリーになると、仕事上の肩書きにまたも私も周りも困っていた。当面は、クライアントさんが思う私の肩書きってこんなかな、というのにしておいてもらっていいかなと思っている(仕事上私を紹介する時に細かい肩書きが必要なことは芸能界でも意外と多いのだ)。
私は私に対して、肩書きが断定できないことに迷いを感じていたし、不安も感じていた。
けれどこの1年でやっと、私は私という存在をやっています、と思えるようになってきた。
本当は事務所にいた時からそうだったのだが、事務所を辞めてからの方がきちんとそのことを考えられるようになったし、大きなバックを手放すことで、本来あるべきではなかった余計な何かがそぎ落とされて、より一層明瞭になったのかも知れなかった。
私は今は文章をここに投げ散らかしているけれど、いつか「今だ!」という時が来たら、紙の媒体にするかもしれない。その時に、うのりえさんのこの本のように、全力の等身大の自分が印刷できるようでありたい。
実はこの本を手にする前に、先に1枚の冊子の方が気になっていたのだが、
そちらのタイトルは
『無職通信vol.1 「無職の星」by うのりえ+光希』
だった。
無職通信は手書きの文字が並び、ご本人に無職通信ができるまでの話を聞くと、ますます興味が湧いた。
手書きの文字はやはり、文章の内容に加えられるエナジーが紙に載っている。
この1枚を壁に貼ったら、すんなりアート作品になるのではなかろうか、と思った。
うのりえさんも、無職通信で共著だった光希さんも、
どこに忖度することなく、ご自身のことをやっている。
自分のことを、そのままやり続けるというのは、
社会に気を遣いながら生きていると、難しくなるのではないだろうか。
もちろん仕事上、要求にお応えしたり、なんとなく空気を読んで動いたりすることは、協調性を持って仕事を円滑に進めるという意味で重要な技術なのだろう。
しかしそれに飲み込まれてしまうと、自分のことが見えなくなる可能性がある。
自分のことを、ちゃんとやる。
これは私がこれからの人生で大切にしたいと思っていることだ。
うのりえさんも、光希さんも、それぞれの紆余曲折を経て、
今ご自身のことをちゃんとやる、ということをしている。
それがこれらの1冊と1枚から、ひしひしと伝わってきた。
結局私は私の肩書きが、正直いまだによくわからない。
今は私のナレーションが音声ガイドとして美術館で聴くことができるし、服のモデルをやった写真も今後世に出てくる予定だ。
ナレーターかもしれないしモデルかもしれないけれど、それらが完全なる肩書きとは言い切れない。
もしかしたら「アーティスト」という肩書きが近いのかもしれないが、日本語でそう言ってしまうと「絵を描くんですか?」とか「音楽をなさるんですか?」とか、余計ややこしい質問が増えそうなので、それを使ったことはない。「タレントさんですか?」となると日本では特にバラエティ系なのかと思われる。それだと全然違う。
私は「麻里さん」をやっているとしか言えない。
それでも私に仕事を振ってくださる方がいる。本当にありがたい。
いまだ捉え所のない「麻里さん」は、飽きもせず日々文字を書き散らしている。
うのりえさんの本には、勇気ももらった。
こうやって、自分のことを自分で掴んでいけばいいんだと、読みながら思った。
りえさん、ありがとうございました。