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ご飯キャンセル界隈から考える「〇〇キャンセル界隈」の流行
最近私はやっと知ったのだが、「ご飯キャンセル界隈」「飯キャンセル界隈」などという言葉があちこちに目立つ。欠食やご飯を食べるのをやめるなどの行為を指す言葉のようだ。
この「ご飯キャンセル界隈」というのは、そもそも「風呂キャンセル界隈」という言葉が最も有名でそこから生まれた別バージョンのようなものらしく、「風呂キャンセル界隈」というのはお風呂に入るのをやめることを示している。
調べ続けてみれば「風呂キャンセル界隈」の人たちも何日間も全く体を洗浄しないというわけではなく、毎日入浴しないということらしいのだ。絶滅寸前とも言われるが確実にまだ存在する風呂なしアパートに住んでいる人たちは、毎日銭湯に行くわけにもいかず、かといって全員がスポーツジムに通い放題サブスクを契約しているわけでもなく、つまり毎日入浴できないのが当たり前な生活が、ここにはずっと昔から存在していたと想像する。
かくいう私は、小さい頃、なぜか家庭の方針で毎日風呂に入ることができず、2日から3日おきにしかお風呂に入るチャンスがなかった。その数少ないチャンスの風呂も、昔ながらの方式により家族全員が同じ湯船に入りまくるというもので、二日連続でお風呂に入れたとしても、その湯船のお湯は昨日のお湯を残しておいて沸かし直したものであり、体を洗うのはその湯船に溜まったお湯を手桶や洗面器で少しずつ掬って体や髪の毛にかけて使うというものだった。銭湯の話ではない。家に風呂釜までしっかりあるにも拘らず、こんな様子だったのである。今考えれば、ガス代と水道代の節約だったのだと思う。「風呂キャンセル界隈」どころか「風呂制限界隈」である。しかしもっと厳密に言えば、「風呂キャンセル界隈」は、お風呂に自由に入ることができる環境が整っているにも拘らず、自らの意思でお風呂に入るのをやめる、ということだと思うので、「風呂キャンセル界隈」と「風呂制限界隈」は別のものである。ともあれ、いうまでもなく、私は大学生になって一人暮らしが始まったら、念願の毎日体を洗浄する、を実行した。たまの贅沢で湯船にお湯を張って浸かる。どんな贅沢よりも、一人っきりで家の風呂を毎日ゆっくり使えることが、最高の癒しだった。今でもその気持ちが根っこに残ってしまっているのか、自分の好きなタイミングで自分の好きなケア用品を使って自分だけの家のお風呂の時間を作ることが、何にも変え難い喜びだとも言えてしまう。ちなみに温泉は好きじゃない。熱くて高湿度な空間で息をするのが苦手で、浴室に入った途端に不快感マックスになるし、さらにはどうしてもあの広々して他人がいる場所というのが落ち着かない。お風呂は私にとって、個人的に自分を修復するためのチャンバー治療のような場所かもしれない。いつか一から家を建造するチャンスが来たら、絶対にこだわりたい部分にお風呂などの水回りが含まれるのは言うまでもない。私はいつもピンタレストやインスタグラムで理想の風呂のイメージを採集している。
入浴についての話が長くなったが、さて「ご飯キャンセル界隈」と界隈という言い回しについてである。
この「○○界隈」というものを見ていると、これまでネガティブに捉えられていたものをカミングアウトすると同時に、過去の上の世代の常識がなんか違うんじゃないかという疑問提示もほのかに含まれているように感じる。
ご飯は3食きちんと食べましょう、朝ごはんはしっかり食べましょう、というのが学校教育などでしつこく言われてきたことだと思うのだが(今もおそらく言われているのだろうけれど)、新しい研究をもとに考えれば、1日3食は食べ過ぎだとか、朝ごはんは食べない方がいい場合もあるだとか、もはや不食の人たちも登場し、昔の常識がどんどん覆されているのが現代だ。
「ご飯キャンセル界隈」を分析した様々な文章を読むと、食に興味がないだとか、食べることや食事の用意が面倒だとか、無駄に食べたくないだとかの言葉が散見される。
もちろんこれらも一つの理由なのだとは思うのだが、どうにも私はスッキリしない。私自身がまさに「ご飯キャンセル界隈」であるからこその違和感だ。
私は食べようが食べまいが、とにかく個々人の体に合った食生活が送れていれば良いと考えている。他人にとって良い方法が自分にも当てはまるとは限らない。人はみんな違う身長と体重、消化能力、筋肉量、年齢や日常の運動強度の違いがあるわけで、それにも拘らず全員が同じ食事法を実行しましょうと言う方が無理があると思うのだ。
「ご飯キャンセル界隈」はそもそも「1日3食きちんと食べましょう」という昔の価値観からの圧力に対する後ろめたい気持ちから生じているのではないだろうか。この昔の価値観は、世間一般と言われる大衆にいまだに正しいものとして広く浸透しているものであり、朝ごはんを食べてきませんでした、といえば不健康だと非難され、晩御飯を食べずに寝ました、といえばどこか具合が悪いのか、精神を病んでいるのかなどと、正常ではない行動だと追求される。ランチを抜いたといえば、昼ごはんを食べて休む暇もないなんてどんなに忙しいんだと心配され、食べたものが定食などのいわゆる「きちんとしたご飯」のようなものではなく栄養ドリンク系やバランスバーなどであるとこれまた体を壊す原因だと決め付けられて否定される。
1日3食しっかりとした量をバランスよく食べることを、押し付けられるように感じて息苦しくなった「ご飯キャンセル界隈」は、「ご飯を抜いている私は世間一般的に非難されるかもしれないけれど、それも正直な私の姿なのだから、カミングアウトするけど同じ気持ちの人がいたら教えて欲しい、もし同じ気持ちの人がどこかにいた嬉しい」という心の底からの叫びから生まれた名称なのではないだろうか。
食べても食べなくてもいいし、食べたい人は自由に食べればいいし、食べたくない人は食べなければいいし、なんでもいいんじゃないの?という社会ならば「ご飯キャンセル界隈」なんて単語は登場しなかったように思うのだ。
これらの「○○キャンセル界隈」について報道する時のアナウンサーの声色が、いかにも深刻そうなトーンでしゃべっているのにも強烈な違和感を覚える。それは番組の性質上、そのようにさせられているだけなのかもしれないし、「○○キャンセル界隈」という呼称を使っている時点でネガティブなものであると定義されているわけであるから、そのようになるもの当然なのかもしれないのだけれど。
いつか、時が経って、時代がすっかり変わって、「ご飯キャンセル界隈」なんて単語が成立しなくなる社会が来ますように。何をどう食べるのか、専門家の意見も参照しつつ自覚を持って自分自身の体と適切に相談しながら、自分に合った食生活を個々人がストレスなく楽しめる時代が来ますように。
たとえ偉い人が1日3食食べなさいと強調しても自分に合わないと思うならば、大手を振って堂々と欠食しても、なんの罪悪感も湧かない時代になりますように。好き好んで3食しっかり食べる周りの人も、食べ方は人それぞれ違って当然なのだと、個々の食べ方をお互いが否定することなく素直に受け入れる世の中になりますように。
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