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移住

近所の友達が引っ越しを決めたと、つい昨日聞いたばかりで、驚きのあまりまだフワフワしている。引っ越し先は海外。日本が昼の時向こうは夜というくらいの時差がある国だ。引っ越すと行っても移住の決断というような大袈裟な話ではなく、彼らはもともと長く暮らしてきた国に戻る、という話だ。国籍も今は日本国籍を捨てていて、これから帰る国の国籍を持っている。彼らにとって日本に引っ越してきた時の方がおそらく「移住の決断」という感覚だったのではないだろうかと想像する。昨日の話で、日本を出ていくという表現ではなくback to、つまり「その国に帰ることにしたよ」という表現だったことからも彼らの気持ちの流れを想像する。

彼らとは一時期とても近所だった時もあったり、私たちがペット可物件を探した結果ちょっとだけ遠くに離れて住んだ時もあったり、でも今また長めの散歩がてら歩いて行ける距離にもなったりしながら、なんだかんだと頻繁に会ってきたように思う。英語の勉強を助けてもらったこともたくさんあったし、彼らから学ぶことはとても多かった。それだけではなく、心地よい彼らを単純に大好きだった。だから、彼らの決断はとても前向きだし、喜んで送り出したいと思うのだけれど、普通に考えて、寂しい。できるならもうちょっと近所でいたかった。でも、彼らの考えは理解はできる。ねがわくば引っ越しがスムーズに進みますようにと思っている。

私たちはこれまで比較的引っ越し回数が多かった家庭のように思う。それは引っ越しが好きだというわけではない。むしろ引っ越しはお金も時間もエネルギーも消費するからなるべくしたくはない。それでも頻繁に引っ越してきたのは、なんか違うなと思ったら、行動してみたかったからだ。住み始めた時はとても心地よい地域だったとしても、数年も経てばガラッと雰囲気が変わることもある。特にコロナ禍を通して、住む場所をかえる人も多く、それによってこれまでの町の雰囲気全体が変わるという現象も多くみられた。コロナは極端な変化をもたらしたとは思うが、もしそのような世界的パンデミックや働き方の変化がなかったとしても、ずっと同じ雰囲気が維持される街というのは、なかなか難しいものだと思う。住む人も変わっていく。そこに訪れる人も変わっていく。そしてもちろん自分も変わっていく。何一つ、同じものなどない。それでも人は、変化を恐れ、変化したくないと思い、現状になんとかしがみつこうとしがちである。周りは変わっていくのに過去にあったはずの何かにしがみつき続ければ、当然ストレスが発生し、不満が勃発するようになる。

私たち家族は、そんな小さなストレスを見逃さないように注意している。なぜなら、私たちが置かれている状況というのは、その小さなストレスが死活問題になる可能性を孕んでいるからだ。

私たちは、大好きな近所の友達の決断から、自分たちの手で運命を動かし、自分たちの決断で切り開いていく大切さについて、今一度考えさせられることになった。

前進あるのみ。とどまることは後退であり、その後退は生存に関与する。
時代は変わり、国も変わる。ただ直感だけを頼りに、周囲の常識や思い込み、社会に押しつけられる先入観に騙されないように、注意深く歩くしかない。

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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。