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📖『夜に星を放つ』📖

みんな少しずつ日常的に傷ついて、みんな少しずつ日常的になんとか回復方法を探し出している。そしてみんな少しずつだけれど時々は自分の幸せに気づくことができる。

『夜に星を放つ』という窪美澄さんの直木賞受賞作品を読んだ。
5つの短編から構成される小説は、どの物語にも星が登場する。

登場人物たちは、離婚やイジメや死別など、生活のすぐそばにある傷と接触しながら毎日を過ごしている。そしてそれらの「問題」は痛快ミステリー小説のように劇的な解決を迎えて大団円のハッピーエンドとなるわけではない。
けれど、むしろそれが、これらの物語にリアルな日常を強く醸し出しているのだろう。

生きていく中で、白黒はっきりさせたいことはたくさんあるけれど、グレーで曖昧なことの方が圧倒的に多い。白もしくは黒と思ったはずなのに実はグレーだったということに後から気がつくこともある。

曖昧であることは、不安定さを予感させ、心の奥を不穏にさせる。だから白黒はっきりさせたくなるのだ。「結局あれは何だったのだろう」と思うことが、大人になればなるほど、蓄積されていく。

海のなかに雨が降っている。雨はもう雨ではなく、海水になってしまう。その境目はどこにあるのだろう、と僕は鈍色の海を見ながらぼんやり思っていた。

『夜に星を放つ』「湿りの海」窪美澄(著)p.169


ずっと前からそこにあったはずの曖昧な何かに、一度気がついてしまうと、その境界をどう判別したらいいのか、気になってしまう。気がつきさえしなければ、自分の前をサラサラと流れ去っていったはずのものを。

そしてその曖昧さが浮き彫りになった時、問題を感じてしまうのかもしれない。曖昧な状態である対象が悪いのだと思ったり、曖昧な状態に気づくことができなかった自分を責めたり、曖昧なことを解決できない自分や相手をなじることでしか、出口を探せなくなったりする。

部屋の中には海君の泣き声以外はなくて、どんどん空気が重くなっていくようだった。僕はそれを大きな扇風機の風で吹き飛ばしたかった。

『夜に星を放つ』「星の隨に」窪美澄(著)p.216


どうにもならないやるせない空気感を、一掃できてしまったら、どんなにスッキリするだろう。けれども生きている中では、払いきれない檻のようなネバネバしてしまった埃のようなものが、たくさんまとわりついてきて、毎日をその中でもがきながら全力でかき分けて進むしかないように感じることもある。

ただの事実を並べただけなら、単純なことがほとんどなはずなのに、そこに絡みつくもので自分で自分の首を真綿で締めるようにして生きていく。大人になっていくとそういうことがどんどん増えていくのかもしれない。

スッキリと爽やかな読後感を求めている時にはおすすめしない本だが、今自分が抱えているモヤモヤしたものが、どこかの誰かも抱えているかもしれないと思うことで、少し気が楽になるのなら、読める短編集なのかもしれない。特段ドロドロした怖い本ではないが、私なら心の元気がしっかりある時に読みたいかなと思う。


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