黒猫で届いた箱が海外配送かと思う程ズタボロボロで仰天した話
本当に心底びっくりした話があるので共有したい。
先に書いておくが、ヤマト運輸さんを責めたいから書くわけでもないのだが、ちょっとあまりの衝撃と、考えさせられたことがあったので書いてみる。
知り合いのアーティストから作品がクロネコヤマト宅急便で送られてきた。
中はしっかりと梱包され、新品の段ボールをわざわざ買って梱包して送ってくれていた。
しかし届いた箱が、まるで海外のとんでもない運送システムをかいくぐって、紛失しなかっただけマシだわと思うような状態でしょうかこれは、というボコボコ度合いで届いたのである。ヤマト運輸なのに。日本だよここ。
とにかく、どこをどうしたら、こんなボコボコに箱が潰れるのか、疑問である。
一体、運送途中に何があったのだろう。
大きな荷崩れがあったのだろうか。
何かトラックがペシャンコになるような大事故に途中で巻き込まれたのだろうか。
それとも、配達の途中の誰かが、何か虫のいどころが悪くて、箱に当たり散らすしかなかったのだろうか。
割れ物注意の貼り紙が2枚もしてあるのに。
思い返せば、玄関先に配達にきた人も様子もおかしかった。いつもの配達員さんとは違う人で、それは別にいいのだが、受け取りサインが必要な紙を無言で「ん」と差し出してきた。宛先に間違いないかの会話もない。仕方なくわたしが目を凝らして伝票を読む(昔ゆうパックで送りつけ詐欺の荷物が届いたことがあったので、以来、宛名と誰からのものかはよく注意して見るようにしている)。
相手の気の流れや気分を瞬時に感じ取ってしまうデメリットを持っているわたしは玄関先で配達員さんに対面した時「あ、なんか恐ろしくヤッベーやつがきた」ととても怖くなって、宛先に間違いがないかを急いで確認し、サインし、ドアを閉めた。
宅急便のお兄さんたちは、いつも、笑顔で挨拶してから帰るのに、そういえば今日はどうも変だった。挨拶はもちろんない。こっちがむしろ大きな声で「ありがとうございました」と言ったくらいだ。あれはヤマトの偽物だったのだろうか。しかし貼ってある荷物伝票はヤマトだったし、友達もヤマトで送ったと言っているので間違い無いだろう。
一体ヤマト運輸に何があったのだろう。
ここまで酷いと、クレームをつける前に、なんだか心配になってくる。
箱がこんなことになるような運送の状況に追い込まれているヤマト運輸は、どんな労働環境なのだろう。
作品を送ってくれた人も、まさかヤマトなら大丈夫だろうと思って選んで送ってくれたのに、こんなことになるとは、酷すぎると、写真を見せてお互いひとしきりびっくりした。
とりあえず、今後はなるべくクロネコヤマトは使わないようにしようと思う。特に壊れて困るような商品だとか、相手の気分を不穏にさせてしまうと困るような場合、贈り物だとか、そういうものには、どんな手段で手配するか今後よくよく気をつけよう。宅急便の手段も何種類もあるのだから、相手を責める前に、まずは自ら予防が一番良いだろう。
中身の破損がなかったので、今回はヤマト運輸にクレームをつけることはしないが、本当に、本当に、本当に心底驚いたので、ここに書き記しておこうと思う。
もし、配達員さんが、配達の段ボールをボコボコに殴ってしまうような精神状態になっているのなら、そこが改善されますようにと祈るばかりだ。結局、ヤマト運輸さんにクレームを入れても配達員さんが責められ(まあ、破損したのは配達員さんかもしれないから、そうなるんだろうけれど)、最悪その人が仕事を失い、そして問題の根本解決にはならないんだろうなと思う。
人間、誰しも、生まれたときから段ボールを嫌がらせのようにボコボコにしてしまうような精神状態ではないはずだ。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
ヤマト運輸を巡る雇用の暗いニュースがつい頭をよぎってしまう。こうやって日本はどんどん貧しくなっていくんだな。まるで海外の様子のように、日本もこれからは、もう荷物がちゃんと届く国では無くなるのかもしれない。
自分のあまりにも仰天した心拍を落ち着かせるために近所の神社の神様に手を合わせた。
今日、わたしの家の荷物をボロボロボコボコにした誰かが、心穏やかな状況になりますように。わたしの心もそれと同時に穏やかに戻りますように。全ての人が今日を穏やかな気持ちで終え、明日を爽やかな気持ちで迎えられますように。
ついでの余談だが実は数年前から神社に日常的に散歩がてら参拝するようになって依頼、手を合わせるときに心の中でいうお決まり文句がある。
「いつもありがとうございます。
わたしの大好きな人たちが今日を穏やかに終え、明日を爽やかに迎えることができますように。
わたしのことが苦手な人たちも、今日を穏やかに終え、明日を爽やかに迎えることができますように。
全ての人が、今日を穏やかに終え、明日を爽やかに迎えることができますように。」
なんとなく、全ての人が心穏やかなら、世の中にある大抵の問題は消えて無くなるように思えたし、結局一周回って自分も幸せでいられるように思えたのだ。その時、神社で手を合わせていた時に自然とこの内容が浮かんできて、以来学校の朝の挨拶が「せんせー、おはよーございます」でルーティン化しているように、神社でこのフレーズを心の中で繰り返している。
これね、結構、自分で言うのもなんだけれど、良いフレーズで、心がスッと晴れるフレーズなので、もしよかったらコピペして使ってくださいませ。
特に心が落ち着かない時や、うまくいっていない時や、モヤモヤするときに効果的です。
なんだか今日はザワザワする話であいすみませぬ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?