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石掘りの娘




気がつけば石と星が異常に好きな子供だった。

小さい頃、おまけ付きのお菓子の中に小さな天然石がついてくる商品があった。
お菓子の方がどんなものだったか、パッケージはどんな様子だったかなどは全く記憶にないのだが、勉強机の引き出しに小さなパチンコ玉くらいの大きさの天然石を大切に仕舞っていた。
小さな球体はラピスラズリと、ガーネットだったはずで、たまに引き出しを覗き込み、手にとってはじんわりと独りにやにやしていた。
子供のお菓子のおまけでついてくるものが本物かどうかは怪しいという母親の目を無視しながら、私はその存在に浸っていた。

星好きの話は、あまり自覚はなかったのだが、ある時母親が私が星に興味を示していることに気がついて、小学生向けの星の図鑑を買い与えてくれたことから明確になったようだった。
その星の図鑑はおそらく今も秋田の田舎の本棚に眠っているはずだが、ボロボロになるまで読み込まれている。
よくある半円の夜空の図に春の星座、夏の星座と解説がついていたり、惑星の説明が掲載されていたり。星座の神話の本も大切に読んでいたように思う。これも何度も読んだ本だったはずだ。

星に惹かれたきっかけも、理由も、全くわからないまま、ただ素直に星が好きだと思いながら成長した。


時は流れ、様々な縁について肌で体感しながら過ごしてきた時に、ふと思い出したのは先祖の職業だった。
私の曽祖父の代、おそらくその前も数代は、「石堀り」だったのだ。鉱夫である。
秋田県の阿仁鉱山で働いていた時代がある先祖は、閉山の後、全く関係のない仕事につき、父に至っては医療関連機器メーカーの営業職だった。その娘は音楽を学んだ挙句に芸事の仕事についた。先祖からしてみたら子孫は随分遠くまで来たものである。

先祖が石掘りであったことを思い出した時、全てがつながったような気がした。
天然石が好きだったことも、ピカピカキラキラのジュエリーというよりもゴツゴツした鉱物の塊に魅力を感じることも、星の組成や成り立ちや宇宙の構成に興味を持つことも、私の中では石掘りのDNAに帰結していく。

石の詳しい知識もなければ、商才は全く皆無なのだが、もしかしたらいつか石に関連した仕事をすることになるのかもしれないと思った。
根拠はない。けれど根拠がないことの方が、うっかり現実になったりするのだ。

今はただ私の手元にきた石を愛でている。
手にとったり、飾って置いたり、大事な仕事のときに直感で選んだ石をポーチに忍ばせていったり。

この天然石たちも地球の鉱物であり、つまりは果てしない昔に宇宙に存在していたなんらかの物質の変化でもある。
今手の中で転がしているアメジストが、見知らぬ銀河のとある星と同じ祖先を持っているのかもしれない。

石は私にとって何か特別な効果効能をもたらしてくれるものではなく、むしろガタガタになった部分を調整してニュートラルに導いてくれるような存在だ。
それは砂をふるいにかけている様子に少し似ている。
大小様々な大きさだった砂の一群が、サラサラと寄り分けられて、ある一定のところまで来たら網から砂は落ちなくなる。

これを持っていたらお金持ちになるよとか、運が良くなるよとか、そういった使い方を天然石に対して出来ない私は、きっと石屋になっても全く儲からないだろう。
私に言えるのは、これを持っているとあなたと石が同調して行って、最終的にお互い同調が終わると安定して終わりです、ということだけだ。
全く購買欲を煽る文言がない。

それでも私と石で遊びたいと思う人がいたら、きっとその日が石屋としての初日なのだろう。


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