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風の強い日に侵略を考える

引越しをしたら近くに木がふえた。それまでも窓から遠くに緑がたくさん見えるような場所にいたため、特に気にしてはいなかったのだが、風の強い日になると、森のような場所の近くに暮らしていることを改めて感じる。

最初はなんの音かわからなかった。海鳴りにしてはどうも爆音である。こんなに海の音が大きければもはや大風クラスであり、軍事飛行機が飛んでいるにしては音が継続し過ぎている。なんだろうとベランダに出てみれば、それは近所の木々が風に揺れて立てる音だった。
風の強い日、森はあんな風に轟々と揺れるんだ。全く知らなかった。

この地球に人類が誕生したのは、地球の歴史からみればほんの少し前に過ぎないという話は、あちこちで見かけるけれど、昔々の地球を思い描こうとしたときに、それは現代の私たちの想像をはるかに超えた力強い何かなのだろうなと感じることがある。
海の波の強さ、街から離れた場所での真夜中の静けさ、今日のような風の強い日の森の唸り声。今は森のすぐ隣に人工的に作られた住宅街が迫っている。山の斜面にある住宅街、ここもかつては森だったはずだ。
人がここまで増えない頃、いつの時代まで遡ればいいのかわからないが、とにかく今よりもずっとずっと人間が少なかった頃、地球は全く違う星のようだったのかもしれない。

お隣さんの敷地にあるたくさんの果樹にはリスや鳥が訪れて、夏にはカラフルな蝶も毎日のように飛び回り、蜂も女郎蜘蛛もキリギリスも蛇もトカゲも野良猫も、みんながそれぞれに楽しそうにしているのだが、私たち人間がどんどん増えて、元々暮らしていた場所が奪われてしまった生命体の数は計り知れないのだなと感じることもある。

人類の歴史はまさに侵略の歴史なのだろうか。
海の中の美しい珊瑚もまた、自らの体で他種の珊瑚への日光を遮るようにして己の領域を侵略拡大することがある。土から生えてくる生物もまた、同じように同種の領域をじわじわと拡大する。庭の草むしりをしていると、「今度はこの種類が勢力を拡大したんだな」「2ヶ月前はこっちの草が広い範囲に生えていたのに、形勢逆転だ、何か変化があったのだな」なんてことを思ったりもする。

世界史のテストではヨーロッパ周辺や中国周辺の地図が表示され、これは何世紀の何王の時代だったかを問う問題もある。
生き物は常に自分の領域を拡大することに必死だ。それは地球という限られた面積を全て侵略し切るまで続くのだろうか。ではもしも侵略し尽くしたら、そのあとは一体どうなるのだろう。もしも地球の地面がある部分全体が星の形のようなスナゴケに全て侵略されたなら、宇宙からどう見えるのだろう。

増え過ぎた人類は、いつか地球の反逆にあって、地球そのものに飲み込まれる日が来るのだろうか。

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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。