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未来は常に予想を超えていく

常に来年のことは全くわからない人生を歩いてもう何年も経っている。予測ができた時代は大学で勉強していた頃までだった。学生時代はそれなりに、何年生はこんな感じという計画があり、概ねその通りに予定を潰していくような人生だったように思う。そしてその予定通りに進むことと、多少のエラーはありながらもまた軌道修正してどんどんレールの上を進んでいくことに、なんの違和感も持っていなかった。

しかし社会に出てからは毎年が、予想外の連続だった。今年も例外なくそのような1年を過ごしてきたと思う。
1年前のこの時期に、今の家に引っ越してきた。まさかそんなことが起こるとは思ってもみなかったのだが、毎年のように予想外の人生になっていると振り返っていると、何が起きてもあまり驚かない。そもそも来年はこうかなと予想すること自体が無駄であるとすら感じるようになってしまった。

もちろん長期的な目標を立てることもある。年間計画として今年はこれをやろうと考えることもあるし、そこから逆算して準備をしたりすることもある。それでも、その隙間に発生する予想外の展開が、意外と大きな出来事だったりするので、年間を通して振り返ると「今年も去年の今日からは想像もできなかった1年を過ごしたな」となるのである。

夫は現在、エクアドルのガラパゴス諸島にいる。1年前の「いい夫婦の日」である11月22日に、来年の今日はガラパゴスでイグアナとか巨大カメとかダラダラ道ばたで寝てるアシカとかを間近にみているな、なんて誰が想像しただろうか。

おおむねこの予想外の展開というのは、夫によって引き起こされており、私はまあ平々凡々に暮らしているのだが、それだって予想できなかったといえば予想できなかった話であり、17歳と半年になる老犬がまだどうにかギリギリ元気に生きているというのも、想像できなかったことなのである。

世間では「風の時代」という単語がもてはやされており、ちょっと前に完全にこの「風の時代」というものに移行したという話があちこちで盛り上がっているようなのだが、不思議なことに「風の時代」の前の「土の時代」には、「今は土の時代だからこんなふうにすると行きやすいですよ」みたいな話題は全然みられなかった。なんだろうかこの、急に湧いて出てきた四つのエレメントの時代区分は。「風の時代」の考え方を否定したいわけでもないし、特段絶対的信者であるわけでもないのだけれど、そこそこ占星術は信じていたりもするし、この広い宇宙の中にある地球の上で呼吸していながら私だけは全宇宙とは全くの無関係で生きているんですのよと言えるような神経は流石に持ち合わせていない。当然のことながら毎日毎秒影響を受けながらここにいるのだろうし、その影響があるのならば上手に活用しない手はないとは思っている。そしてもちろん、なんとなく体感的に時代が変わっているんだなというのも感じている。しかしそれは宇宙の流れから見た時代の変化のせいなのか、地球上の人間の多くが「風の時代」というキーワードを意識し始めたことによる集団無意識の総合体からの影響の何かなのかはわからない。ともあれ、何が原因だとしても、目には見えない空気圧のようなものは、変わったのだなとは思うのだ。

小川の支流を石積みをして堰き止めて遊ぶことはできても、大きな大河を個人の力で変えることは無謀な事であろう。「風の時代が来た」というよりも「多くの人間が風の時代になったと強く意識している時代になった」という空気感であれば、夫が今日ガラパゴスにいるのも、一般的にそんなに奇妙なこととは捉えられなくなるかもしれない。私個人はすでに不思議だとも奇妙だとも思ってはいないのだが。

さてそんな「風の時代」が始まったらしく、そして社会はブラックフライデーなるセールg展開され、年末に向けてどんどんお金を使わせようとする罠が仕掛けられる時期になったのだが、物価は相変わらず上昇を続け、友達の経営する飲食店もいよいよ12月から値上げをせざるを得なくなったと言っていた。「風の時代」という軽やかそうな響きとは裏腹に、厳しい世の中である。
寒いのが好きな私ではあるが、寒い時期にお財布が心許ないと、さすがの私も若干心細くはなるのだが、世間の無駄遣いオーラに流されないように気を引き締めて、日々を淡々と過ごせば大丈夫と思い、平常を心がける。

大波を立てず、心穏やかに過ごすには、静かに過ごすことが重要であり、今無い欠乏感ではなく、今ある満たされている何かに注目し、感謝する。瞑想をして、余計な思考を観察し手放す。「風の時代」と言っても、そよ風の日もあれば、台風の日もあるのだろう。時代の流れを感じながらもそこに煽られて自分を見失わないように、常に軸に戻って来られるように、ひととき瞑想する。

一寸先は闇とまでは言わないが、全く予想はできないものであり、数時間先のことですら、確実に見通すことは難しい。予測不可能な未来に不安を感じるよりも、着実に歩くこと一歩一歩に注視して、俯瞰的な目線も忘れずに過ごすしかない。秋は、涼しくなって、空気も思考もクリアになり、夏の暑さで腐っていた脳をリフレッシュさせ、自分を整えやすいとても良い季節である。

ざわざわしがちな11月末。ぜひ瞑想を。

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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。