冬至を憂鬱に思うか満喫するか
温かい気候が体に合わないわたしは、冬が終わるのが本当に悲しい。
冬至は一年で最も夜が長い日。
けれどこれが終わるとどんどん太陽が出ている時間が長くなる。つまり地上が温められる季節へとまっしぐらだ。そう考えると心底憂鬱になる。
冬至の前日まで、本当に憂鬱になっていた。
ああ、わたしの冷たくて暗くて心地よい夜を奪わないでくれ。
けれど冬至の日の朝に目覚めてみれば、何だか心がウキウキしていた。
そう、今日は何て言ったって、一年で大好きな冷たい夜が長い日なのだ。
明日からの憂鬱な季節への進行を嘆くよりもまずは今日の素晴らしい1日を満喫したらいいのではないかと、自然と思えた。
どうかこの空気の冷たさが、夜の静けさが、長い長い暗さが、わたしの体の中にしっかりと蓄積されて次の暑いシーズンを乗り越えられますように。
わたしは、乾燥して冷たくて暗い冬が大好きだ。
夏が好きと言った方が明るく快活な性格を連想させるような気もするし、何となく元気な感じもして、印象がよさそうな気がしてしまう。だからこれまで冬が本当に好きであることを、何となく明言しづらいように感じていた。
しかし、そんなことは言っていられないくらい、昨今の春から初秋にかけての暑さはひどく、わたしの心身を疲弊させ、脳を確実に腐らせていく。何も考えられなくなり、本当に文字通り廃人と化す。向いていないことを頑張るのも、もうやめたい。だからわたしは、「冬が好きで、冷たくて暗くて乾燥して、とにかくヒヤッと閉鎖されていると安心する」と堂々と言うことにした。本当に具合いの悪い時は家の中で最も地面から離れた部屋で、カーテンを閉めるだけでは足りず雨戸もぴっちり閉めて真っ暗にし、室温を下げ、電気を消して、体を横たえる。この間家族(つまり夫)以外の人間と接触しないことも重要である。もちろんスマホもそばに置かない。霊安室だってもうちょっと明るいけどねっていうレベルの部屋に自分を浸して、回復を待つ。これが長年の研究により編み出した最も自分が回復する方法だ。
太陽が苦手と言っても、全くその恩恵を受けていないわけでもないし、昼間にしかできないことの中で好きなこともある。例えば富士山を眺める、とか。明るくなければ見えない富士山がどんどん白く雪化粧されていくのを毎日楽しく見ている。と言っても早朝もしくは夕方の数秒だけの楽しみなのだけれど。
しかし昼間の富士山を眺めることと夜の月を眺めることのどちらが好きかと言われれば、断然月である。つくづく陰陽で言えば陰の人なのであった。
誕生日から割り出す星座で言えば太陽星座は獅子座で、何だか真夏に轟々燃えてギラギラしていそうな情熱を感じる星座なのだけれど、獅子座感を自分に感じていたのはせいぜい大学生くらいまでだった。大人になってからは歳を追うごとに陰に進んでいて、わたしの獅子座感は燃え尽き症候群で終わったのかしらね、と思う。
その分、我が家には年中日焼けして陽の塊みたいな夫がいるので、ちょうど良いと言うことなのかも知れない。
全ては陰陽のバランスをとりながら回っていく。今日は一年で最も夜が長い日で、わたしはこんな日が永遠に続いたらいいのにと欲を出すのだけれど、全ては調和しながら存在するわけで、こんな日だけだとバランスが崩れてしまうのかも知れない。
あらゆるものが生まれては消えていく。それは絶え間ない寄せては返す波のように、どこかのある地点で無理に止めることができない。この空間にある暑さと冷たさのバランスも、今日が陰の極みであるならば、ピークの後はまた緩やかに陽に向かわなければならないのだろう。考え方によってはその陽への進行があるから次の陰も巡ってくるわけでもある。
それでも我儘なわたしは、毎日が寒いともっともっと幸せなのにな、と贅沢を思ってしまう。