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疲れた時にはサラっと読みたい時もある

1冊読み終えて深く考え込んだり、色々と関連したものを調べてみたくなったりするような本が好きなのだけれど、時々は合間に少し考えずに読めるような軽いものも欲しくなる。

『さよならも言えないうちに』
川口俊和さんの『コーヒーが冷めないうちに』から始まった爆発的な人気があるシリーズのうちの一つで、このシリーズはなんと最初の『コーヒーが冷めないうちに』も含め現在4作も出版されている。

元々舞台で上演するという想いが念頭にあるためか、物語の中で登場人物がいうセリフ
「コーヒーが冷めないうちに」というのは、舞台暗転の合図のような、場面転換のきっかけ台詞のような、いかにも舞台らしさを感じる部分もでもある。
他にも、こうやって色々な登場人物が喫茶店の1つのセットの中でどんどん物語を展開していくのだろうなというのが想像しやすく、さすが脚本家であり演出家でもある方の文章なのだなと感じる。

今回のシリーズでは、タイトルにある通り、さようなら、つまりは別れを言えなかったという後悔を抱えた人物たちが、過去に戻れる喫茶店があるという噂を聞きつけてやってくる。

わたし自身、もうすでにこの世から去ってしまった身近な人たちに、今過去に戻って伝えたいことがあるかと言われれば、実は全く無い。もちろん無理に考えれば、あれをああすればよかったなとか、これを言えばよかったなとか、無くもないのだが、それを伝えたところで、どうなるわけでもなしと思ってしまっているところがある。一つの後悔を何とか補ったとしても、また新たに一つの後悔が見つかり、それをどうにかしたとしても、また一つの後悔が浮かび上がる。キリがないなと思うのだ。祖父が亡くなった時、もう90歳を超えていた祖父に対して周囲の他人は「大往生でしたね」という言葉を下さった。けれどわたしにとっては、90歳まで生きたらかそれで満足だとか、十分だとか、そういう話ではなかった。何歳で亡くなっても、悲しみは変わらず、後悔も残る。どんなに後悔がないようにと注意深くしていても、残るのが後悔というものだ。
だからもう、後悔というものに囚われることを手放すことにした。どこかで気がついて区切りをつけなければ、永遠に後悔の呪縛から完全に逃れることができないのだ。

この本には、誰の心の中にも存在する可能性のある後悔が描かれている。
だからこそ、このシリーズはたくさんの人に読まれる売れている本なのだろう。自分のことが書かれている本に、人は吸い寄せられる。登場人物たちに心の一部を投影させやすいのだ。

小難しい本は疲れて眠くなるし、読む気が起きないという時は、素敵な短編の詰め合わせの本を鞄に入れて、移動の合間に読むとちょっと気持ちがリフレッシュできる。スマホでネットサーフィンをするよりも断然、軽い小説を読む方が、ストレスも減っているような気がするのだが、気のせいだろうか。

しかし毎度のことながら、このシリーズを読むと、神保町あたりの日本の渋い喫茶店に言って、コーヒーを1杯だけ飲みながら本を開きたくなるものだ。最近はシングルオリジンのハンドドリップが美味しいお店に行くのが好きなのだが、たまには昭和のまま時間が止まっているようなお店にレトロトリップするのもいいかもしれない。

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MariKusu
温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。