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物を捨てたら思い出が濃くなった

我が人生二度目の大断捨離ブームが到来し、着々と物が減ってきた。

今回の物を減らす基準は、


1・今後の物の維持管理が楽になるような減らし方をする
2・いざ引っ越しとなってもすぐに出発できるレベルまで落とし込む
3・1年以上使っていないものは徹底的に排除する


1・今後の物の維持管理が楽になるような減らし方をする

例えばアウター類も自宅で洗えるものを中心に揃えるように見直す。いちいちクリーニング店に持ち込まなくてはいけないものは、よほどの理由がない限り持たないようにする。
これによって維持管理が体力的にも金銭的にも楽になった。クリーニングに持っていかなくちゃと思いながらズルズルと汚れたままハンガーに吊るされているよりは、よっぽど衣類のためにも良いだろう。

気に入ってはいたけれど収納時に一枚でかなりの場所をとってしまう厚手のニットも手放した。よほどの寒冷地の地に住まない限り必須のものではないし、維持管理の点でも今は重荷だなと判断した。同様にモコモコした素材のパジャマ類も手放し、通年で使えそうな綿100%のものに切り替えた。


2・いざ引っ越しとなってもすぐに出発できるレベルまで落とし込む

目標としているのは大きなスーツケース1個に身の回りの物全てがまとめられることなのだが、このレベルにはまだ遠い。しかし目標を掲げながら、都度持ち物が増えすぎていないか確認をすることは大切だろう。


3・1年以上使っていないものは徹底的に排除する

これは衣類に関してはほとんど該当しなかったのだが、思い出の品々について見直した。
思い出の品は日々使うわけではないので、なんでもボックスのような最もやってはいけない収納方法であれもこれもとまとめて押し込まれていた。
この機会に全て出して、売れるものは売る、売れないものは廃棄すると、徹底して思い出のなんでもボックスを空にした。

手放す時にはそれなりに罪悪感があったり、手が止まったりもしたのだが、今になって思えば手放して本当によかった。
不思議なことに、今もう物質的に手元になくなっている思い出の品々は、なんでもボックスに放り込まれていた時よりも私の脳みその中でより鮮明になっているのだ。
もしかしたら今後、実物がないために頭の中で記憶が都合良く書き換えられていってしまうかもしれないが、それで良いような気がする。
だって思い出なんだから。
そもそも他の人がその品を見てどう思うかは全く重要ではないため、物質を保管して客観視する必要がない。私が個人的にその物質とどういう関係なのかだけが意味を持つのだ。


物質に引っ張られて本当に大切な要素を見失うところだった。
思い出は手放すと濃くなるのである。


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