見出し画像

2024年の正月三ヶ日

元旦の空が夕焼けに差し掛かる頃、何気なく開いた知り合いのインスタグラムのストーリーズに「無事です。」という投稿があり、変だなと思いながら検索してみれば、ほんの数分前に大地震が発生していたことを知る。その知り合いはまさに震度7を体感したエリアにいたようだった。

私自身、1983年の日本海中部地震を秋田で、1994年の三陸はるか沖地震を八戸市でという、偶然にも幼い頃から震源地付近での大きな地震を体験してきていて、中学と高校の6年間を過ごした八戸市在住時に至っては震度3から4程度の地震は日常的に頻発しており、授業中に震度3程度が発生しても誰1人慌てることなく、そのまま粛々と授業が続いた様子に驚いたのを覚えている。

阪神淡路大震災を震源地近くで経験した夫の話によれば、震度5はなんとかなるけど震度7はやばい、という話だった。私は震度5強までの体験しかない。

震度7からくる余震が震度5という状態の石川は、本当に今も心休まる時間がないことと思う。地震による道や建物の崩壊の被害に加えて火災や津波の様子も伝えられ、元旦の惨劇にこれが事実なのか、どう理解して見たらいいのか、全く分からない。

なんとか日常の気持ちを取り戻そうと、地元の港のお祭りを見に浜まで降りてみたり、年末にまとめて読もうと借りていた図書館の本を読み進めてみたりするものの、どうにも胸の奥がジャリジャリとがさついてしまう。

そんな中で迎えた正月2日、メキシコにいる夫から「羽田がやばい」とメッセージが来る。
なんだろう、混雑がひどい話かしらと呑気に思いながら見れば、BBCのBreaking Newsの記事に飛行機が燃えている映像が出てきた。続けて日本語の記事を探すも、例に漏れず大きなニュースは日本の話なのになぜか海外サイトの方が情報が詳細だったりする。特に映像情報は海外ニュースサイトの方がより詳しく伝えてくれているものがほとんどだ。

一体、今年の正月は何が起きているのだろうか。
誰もがきっと、正月3日は何も起こらないでほしいと願っていたことだろう。しかし北九州での大火災が発生してしまった。

胸が痛むニュースが続く。
地震も火災も事故も、誰しも巻き込まれうるものであり、ただやるせない気持ちだけがどんどん胸の中に膨れていく。

募金をしたり、産地を選んで買い物をしたりしていても、個人ができることの微力さに心の靄は消えることがない。そして日本は今、3日連続で大惨事のニュースが続いているけれど、世界には数ヶ月単位、年単位で苦しい状況に追い込まれている地域もある。
どちらが大変だとか、どこがどうというわけではないのだが、この地球のすべての地域すべての人がたった丸1日でも心穏やかに幸せを感じることができる日というのは、存在するのだろうか。

あらゆる人が、あらゆる場所で、それぞれの状況で、生き残りをかけて、進もうともがいている。なぜ恐怖を感じるのか、なぜ不安が湧き起こるのか、考えれば考えるほど、やはり根元に「生き残りたい」という命の渇望があるからかもしれない。
例えば私の周りの人たち、特に若い世代の子達は、今どんどん日本に頼らずとも生きていける方法を必死に模索して実行に移している。それは、このまま日本に依存していたら自分たちは生き残れないんじゃないかという切実な危機感から来るのかもしれない。彼らの行動から感じるのは「海外キラキラドリームライフ」みたいな脳内お花畑状態ではなく、もっと地に足がついた切実な何かなのだ。

不安感からくる焦燥の大渦に巻き込まれそうになりながら、なんとか自分をまっすぐ立たせる。いつも立ち返る「去年の今日、今の自分は想像した通りになっているか」という問いを自分に語りかける。いつも答えは「否」である。
頭頂部から尾骶骨まで、まっすぐに立っていることを意識しながら、一呼吸、ふた呼吸と深く息をする。
目の前に、現代アートの映像作品のような、窓枠と風に揺れる木々と、そこに来るメジロに焦点を合わせる。心の焦点と視覚の焦点を等しく合わせていくことで、今ここにいる自分に戻ってくる。

誰もが自分の世界の中で、自分のことをするしかない。
自分に戻り、自分を生きるしかない。

あまりの大きな出来事の連続に、今やるべきことに立ち戻るのに少し時間がかかった年始となったが、それもまた自分に何かを教えてくれているのかもしれない。

今の所、ここ数日で受け取った学びは「違うと思ったら即引き返す勇気を持つことが大切」ということ。違うかもしれないけれどせっかく来たしな、せっかくやったしな、というのは即刻捨てるべきという学びを毎日のように受け取っている。これがどこに続いていくのかはわからないけれど。今年もまた日々トライアンドエラーで、学び続けるしかない。


最後に
この数日で多くの方が大変な状況になり、今もなおそれは続いていることと思います。すべての人が、1日も早く日常を取り戻すことができますように、お祈りいたします。



温かいサポートに感謝いたします。身近な人に「一般的な考えではない」と言われても自分の心を信じられるようになりたくて書き続けている気がします。文章がお互いの前進する勇気になれば嬉しいです。