23.「令和の白拍子」 宝塚音楽学校へ〜殺気立つ高校時代(受験ラストチャンス編1)
「令和の白拍子」こと、花柳まり草(はなやぎまりくさ)こと、まりちゃんです。
今まで、かつて「宝塚受験生だった日々」を振り返りながら、20本近くの記事を書いてまいりました。自分でもこんなにもお話し出来ることがあったのか・・・と、大変驚いています。
超ちっぽけで、何も成していないと思われる、まりちゃんの短い人生の時間。でも、大切に思っていることや、絶対に忘れられないこと、体当たりで考えたこと、辛かったこと、楽しかったこと・・・そんなキラキラした宝石のような思い出が沢山散りばめられていたことに、戦慄しました。それと同時に、自分の歩いた道のりを、今までよりも少しだけ「愛おしい」と思えるようになりました。
ここまで長々と書いて参りましたが、そんな「宝塚受験生生活」もいよいよクライマックス。
17歳のまりちゃんは、ついに、最後の受験に挑戦するのです。(注:高校三年生になったら大学を受験しようと思っていたので、最後のチャンスと決めていました)
前回の記事では、受験日の直前に出演した発表会について書かせて頂きました。「仲良し受験生五人組」のメンバーに対して、ちっちゃなライバル心を燃やし、自己嫌悪の渦に飲み込まれながらお稽古をしていたまりちゃん。でも、発表会当日はそんな黒い雲も彼方へと飛んで行き、五人で心を合わせて踊ることが出来ました。
あとは最後まで気を抜かずに準備をし、受験当日を迎えるだけ・・・。
ということで「受験ラストチャンス編」、突入致します!!!
■二度目の一次試験
やってきました。人生で二度目の「昭和音楽大学」。
東京組の試験会場は、新百合ヶ丘駅にあるこちらの大学。我が家からだいぶ離れた駅ですので、寝坊してしまっては大変です。二度目の受験の時も、母のありがたーーい協力の元、前日からホテルに泊まり込みました。
そして迎えた、一次試験当日。
校門をくぐって直ぐ、大きな衝撃が私を襲います。
昨年度、共に受験をし、見事合格を果たされた方々。直接話したことはないけれど顔は見知っている皆様が、華々しく受験のお手伝いにいらしていました。
そう。
一年前は同じラインに立っていたお姉様方は、もうすっかり「音楽学校本科生(二年生)」。そしてそこには、私がボロボロだった面接試験の時に、隣で全身全霊で自分を表現していらした「あの方」の姿もありました。その方はもともと大変可愛らしい方なのですが、雰囲気はさらに洗練され、もう完全に「宝塚の人」。その変貌ぶりを目の当たりにしたまりちゃんは、物凄い衝撃を受けました。
「私も、絶対にあちら側の人間になる。来年は、この校舎で、絶対に受験のお手伝いをする。」
校門を入ってすぐ、心の中で固く誓ったのでした。
■意外と、覚えていない
そして、毎度毎度のことではありますが、試験内容自体のことは全く覚えていません・・・笑
すっころんだとか、声が裏返ったとか、振りが飛んだとか・・・肝心の時に面白いやらかしエピソードがなくて申し訳ないです。試験自体は、臆さずに、粛々と、できる事をやり切っていたみたいです。
もちろん、どうやって家まで帰ったのかは覚えておりませんので、次に思い出すシーンは「明朝のベランダ」の風景です。
1回目の受験エピソードの記事でも書きましたが、一次試験の結果は次の日に電報でやって参ります。少女の運命を運ぶ郵便配達員さんの到着を「今か今か」と、ベランダに座って待っているわけです。何をするわけでもなく、ボーーっとお外を見て待っている時の、あの景色、あの気持ち。
一次試験とベランダは、もうセットで私の記憶に刷り込まれております。
話の流れとしては一回目の時とほぼ同じなので省略致しますが←、無事に郵便配達員さんから「合格」の紙を頂いたまりちゃんは、最終決戦の地である「ムラ」へと出陣していくのでありました。
■乗り越えるべきは面接試験
兵庫県は宝塚市にある、宝塚音楽学校。
2次試験も特にやらかしエピソードはなく、課題を淡々とこなして行きました。若干、お手伝いをして下さっていた本科生の方には何とも言えない気持ちを抱いていましたが、もうそこは気持ちを切り替えて頑張りました。
そして、一年前の大きなつまづき・・・私のトラウマとなっていた「面接試験」がついにやって参りました。
とにかく、面接試験の前は前回の苦い教訓を踏まえて、周囲の状況に流されないためにひたすら自分の内側を見つめていました。
楽しかったこと、大好きなスターさんのこと、バレエの朝比奈先生のこと、声楽の關根先生のこと、レッスン中に言われてた沢山のアドバイス・・・。
私にとって「プラス」と感じられる事柄で、脳味噌を満たすようにしました。
とにかく、何があっても、周りの状況に振り回されずに集中したまま試験に臨もう。私は宝塚が大好きで、ここにいる誰よりも合格したいと思っている。そのために、大真面目に変なダイエットもしたし、死んでもいいと思ったし、初恋の人とも別れた。ここでその気持ちを試験官に伝えられなかったら、私は「頭の良い馬鹿」ではなく「本当の馬鹿」になってしまう・・。
と、こんな風に必死に集中を保とうとしている反面「何が来ても、もう大丈夫」と、妙にリラックスしている自分もいました。
沢山のまりちゃんが、目まぐるしく脳味噌の中を出たり入ったり、鬩ぎ合ったりしていました。面接を待っている時間はとても長く感じられました。
そして迎えた面接試験。
即興ダンスは、もう格好つけるのをやめて、笑顔全開で動きまくりました。もう、やけっぱちです。全ての恥をかなぐり捨てました。
踊りの内容は超下手くそだったと思うのですが、超自己満足に「やり切ったぞ」という感覚はありました。
そして質疑応答。その時、面接官の口からまりちゃんが聞いて欲しい!と思い続けていた質問が飛んできたのです。
思わず、心の中で「ラッキーーーー!」と叫びました。
その質問の内容というのが、
「あなたが学校生活で頑張ったと思う事、心に残っている事を教えてください」
というものでした。
実は私、高校二年生の文化祭の時、有志団体に参加しミュージカル「ライオンキング」を上演していたのです!(しかもちゃっかりヒロインのナラ役)
人付き合いの苦手な私と仲良くしてくれていた優しい友人たちが声をかけてくれたのですが、その時ピンと来るものがあり、直ぐに参加を決めました。
それまででしたら、学校行事よりも自分のお稽古を優先してしまう所なのですが「楽しそうだから、みんなと一緒にやりたいな!!!」と思ったのです。
そして後々冷静になると「これは受験の面接で学校生活のことを聞かれたら、ネタとしてして話せるな」と、超したたかな考えも湧いて参りました。
自分たちで色々と考え、工夫しながら作品を作りました。この時期のことは、今でもはっきりと覚えています。
とても楽しかったし、友人たちも素敵な人たちばかり!!!先生方もとても応援して下さいました。この時の友人たちで、現在、ジャンルはそれぞれ違ど、プロとして活躍している人たちもいるんです。結構すごい団体だったと思います笑。
この事を振り返っても、つくづく、まりちゃんは周りの人に恵まれていると思います。ありがたや。(まりちゃん自身は、すごい嫌なやつですけど)
さ、という訳で、面接官から先ほどの質問が飛んできた時は、小躍りする位嬉しく、このミュージカルを作って上演した時の事を満面の笑顔で話していました。
面接のために無理やり仕込んだことではありません。心から楽しかったことについて話す訳ですから、自然と言葉が出てきました。
「これで落ちたら、もう仕方ない」
そんな風に思えるくらい、一年前とは全く違う心境で面接試験を終えることが出来ました。
もう、これだけで、どれだけ嬉しかったことか。何だか、試験発表は若干どうでも良くなっている自分がいました。
泣いても笑っても、次の日は合格発表・・・。
ということで、次回はまりちゃんの運命が変わった日についていよいよ書いていきたいと思います!
さ、本日はこれ切り・・・是非、次回も逢いにいらしてください♪
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