44.【2024年のお誕生日に寄せて】
皆様こんにちは!
日本舞踊家の花柳まり草こと、まりちゃんです。
大変ご無沙汰しております。
だいぶ時間が過ぎてしまいましたが、今年も5月にお誕生日を迎えることが出来ました!!
お祝いをしてくださいました皆様、本当にありがとうございました。
コロナ禍の時に書き始めたこのnoteも、日常の慌ただしさが戻りましたら、すっかり更新が遠のいてしまいました。
ですが毎年お誕生日の折には、その歩みを一旦止め、わたくし自身の来し方行末を鑑みる為にも、思いの丈をつらつらと書かせて頂いておりました。
せっかくここ数年続けて参りましたことですので、甚だ遅かりし由良之助ではございますが、こうしてキーボードに向かいました次第です。
どうぞお付き合い頂けましたら幸いです。
毎年恒例ですが、ノープランで書き進めてまいります!
それでは、参ります!
■
先程も申しましたが、このnoteを始めたのはコロナ禍真っ最中。
たまたま、とあるドキュメンタリー映画の予告編を目にしたからでした。
タイトルは「精神0」。
82歳で引退を決められた、とある精神科の先生のお話でした。
患者さんたちと向き合う先生の姿、そして認知症となった奥様と手を取り合いながら歩く先生の姿。
短い予告編を見ただけでも、私の心はギュッと締め付けられました。
お二人で手を取り合って歩く姿は、本当に美しいと思いました。
監督が作品に込めた想いや思惑はあるにせよ、ささやかな日常を淡々と切り取っただけの映像から、率直な美しさであったり生命の秘密めいた大切な何かを感じることができました。
こうした作品に触れると、それぞれの人間の生き様は神様が作ってくださった物語のようで、かけがえがなくて愛おしくて唯一無二の大切なものであることは、心の底から理解できました。
だが果たして、自分自身の歩みを振り返ってみた時、私はその道のりをどの様に感じるのだろうか?
他人様の人生にはこれだけ感動を覚えるのに、肝心な自分の人生を、私はどう見つめ、どう感じ、どのように捉えているのだろうか。
・・・コロナ禍という時だったからこそ、こうした内省する気持ちがその時自然と芽生えたのだと思います。
そんな思いから、今現在の私の心身の土台を作り上げたとも言える、宝塚受験を目指し出した中学生時代から、宝塚音楽学校での日々を振り返ることにしたのです。
結局その筆は予科生時代の終盤で止まってしまっておりますが、私は自身のことを「まりちゃん」と呼び、できるだけ客観視することを試みました。
(お分かり頂けたと思うのですが、本気で自分のことを普段からそう呼んでいるわけではありません笑)
呑気なもので、人様にどう受け止められるかということをあまり考えずに書き進めていた訳ですが、思ったよりも皆様からのご反響を頂き、当の本人が一番驚きました笑。
「きっと自分の人生も、捨てたもんじゃないはずだ!」
という半ば厨二病的な気持ちで、面白おかしく書き始めた訳ですが、書くたびに記憶の底から蘇ってくるのは、自分自身のことよりも、その時の私に関わってくださっていた沢山の皆様のお顔や素晴らしい景色たちでした。
家族。今もお世話になっている恩師の先生方。大好きだったトップスターさん。いつかあの光の下に立ちたいと思ったギリシャ劇。稽古場で切磋琢磨した大切な友人たち。大妻で過ごした、全てのものから守られていたセーラー服の日々。自分の受験番号が書いていなかった音楽学校の合格発表掲示板。眠気と闘いながら、何度も覗き込んだ武庫川の流れ。戦友であるかけがえのない宝塚同期たち。どんな時でも、応援してくださっている皆様。
そんなことに思いが至った時、ありがたさを噛み締めながら、自分の中の何かが軽くなった様な気がしました。
◾️
ただ、こんなに恵まれていながらも当時のまりちゃんは…
もっとああしておけばよかった。もっと頑張ればよかった。もっと賢く立ち回ればよかった。どうして私はダメだったの。なんで私は選ばれないの。
悔しい。惨め。悲しい。消えてしまいたい。羨ましい。なんでこんなに何もできない人間なんだ。
と自分のことで頭が一杯になり、旧音楽学校の寮の部屋の様に、薄暗くて湿っぽくて閉鎖的な空間で膝を抱えてうずくまり、部屋の壁にガンガン頭をぶつけているような心境になったことも沢山ありました(例え…笑)
そんな風に思ったあの時のことでさえ、noteに書き連ねていくと愛おしく思え、「ふふふ」と笑っておりました。
舞台でも映画でも、作品の中で無駄なシーンというのは1シーンもありません。
大道具、小道具、衣裳、エキストラ、全てが計算された上で、そこにいるべくしているし、あるべくしてある。
悩んだあの時間がなかったら、自暴自棄になったあの時間がなかったら、周りが見えなくなってしまったあの時間がなかったら・・・。
どのフィルムの瞬間を抜いてしまっても、今の私はここには存在していません。
楽しいフィルム、幸せなフィルムはもちろん言うまでもありません。
しかも、その瞬間のフィルムは私自らがどこからか勝ち取ったわけではなく、全て「人生映画」という流れの中で、先程も申し上げた様々な大切なご縁の中で、まるで初めから起こるべくして起こってきたことの様に思われます。(そういった観点から、去年は『心理学的決定論』についてnoteを書きました)
今でも忸怩たる思いや恥ずかしい思いや妬ましい思いに駆られることは沢山ありますが、死ぬ瞬間に、きっと私は全てを「ふふふふふ」とか言いながら肯定できるのだろうな~と100%確信しております。
(こうして言葉にすると、本当にお気楽な人であります)
◾️
何を書くか全く決めずに、ダラダラとここまで参りましたが、先日とっても嬉しいことがありましたので折角なので書かせていただきます。
宝塚受験生の時から、声楽家の關根恵理子先生に大変お世話なっているのですが、自身の芸道精進のため、今でも細く長くレッスンに通わせていただいております。
今月のレッスンに伺った時、先生がこちらのドライフラワーを見せてくださいました。
何でもこちらのバラは、私の祖父が先生にプレゼントさせて頂いたものということ!!!
私がタカラジェンヌ時代、先生のお舞台を観にいった祖父が、先生に花束をお渡ししたそうで…。(なんてキザなんだ笑)
なんと先生はそのバラでドライフラワーを作ってくださっていたのでした!!!
先生のお心の優しさにも大変感激したのですが、思いもかけず、天国の祖父に逢えたような気が致しました。
先生のご好意で、ドライフラワーは現在拙宅に飾らせて頂いております。
祖父がいなければ、私は何不自由なく、こんなに我儘いっぱいに育てて頂けることはなかったと思います。やりたいお稽古をやりたいままに、とことんさせて頂けることはなかったでしょう。
結果的に、少しは芸によって人様に何かをお届けできるようになったかなと思われますが…。
まだまだ恩返しは足りていないと思っております。
それは日常生活においても、1人の人間としても同じです。
とにかく、そんな素敵な出来事があり、まりちゃんはとっても嬉しくなったのでありました。
誰かにこんなに大切にしてもらった自分を蔑ろにするのは、大切にしてくださった人達を蔑ろにしてしまう。
だから私は、自分を大切にして、自分のために生きたい。
同時に、私自身も、誰かを大切にして、誰かのために生きたい。
自分のために生きることも、人のために生きることも、どっちも100%ずつ。
全てはご縁の中に、まあるく円を描き続けるのが生命だと思います。
そんな命の循環の中で、これからも生きていければ幸いです。
そしてそして…
最後まで読んでくださった貴方様!!!
お付き合いいただき、本当にありがとうございました!!!
これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます!
2024年のお誕生日に
まりちゃんこと花柳まり草