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罪悪感から逃れられない日々

これは6年前の6月の誕生日に、美容専門学校の担任していたクラスの生徒たちがサプライズパーティーをしてくれた時です。

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仲良しだったネイルの先生に、学生たちが「まりこちゃん(生徒たちにはそう呼ばれていた)のお祝いの時間を下さい。」と交渉し、なんなら「ケーキを受け取りに行く時間もください。」と交渉していたと後から聞きました。


この子達が入学してまだ3ヶ月弱。
非常勤で何年も通ってくださっていた先生も、「こんなことしてもらってる先生みたことないよ!」と言っていました。

(感情の起伏がない人なので、こんなにしてもらって涙が出ない自分が残念すぎました。)


私はこの専門学校で、この子達の担任の先生になり、生活指導から進路指導、恋のお悩み相談、漢字の練習(漢字が読めなくてテストが解けない子もいたw)、保護者面談などなど、色々やってきた。


本当に可愛かった。
可愛すぎた。


美容専門学校の教員から、フリーランスのヘアメイクになったのは、「自分が本当にやりたいことと、ズレてしまっていたから。」

そう答えていますが、実はこの子達を卒業させる前に身体を壊して退職しました。


体力的にも相当ハードでしたが、「自分が本当にやりたいこと」ではないことをやっていると大体、私は身体を壊します。


この時は胃潰瘍、膵炎を患いました。
(しかも、一番きつい時に病院にいかず、検査した時にはピーク超えてますと言われました。)

生徒たちの担任をしているという責任はあるけど、自分がこのまま我慢しても急に辞めるとか、再起不能になるとか、とにかく余計に迷惑をかけることになると思ったので、退職を選びました。


辞めるまでは辞めることや引き継ぎで頭がいっぱいだったのに、辞めたらすごく大きな罪悪感に襲われるようになりました。


私にとってはそこからがとても辛い日々でした。
生徒に対する責任を果たせなかった
仲が良かったネイルの先生と「一緒に学校を良くしようね」って言ったのにその約束も果たせなかった


そこから、フリーランスとして歩み出すまでには、夜の世界でクラブホステスをやりながら、もういっそこっちの世界でいいんじゃないかとか思うこともありました。

うん。
長かった。
辛かった。


夜の仕事には向いていなかったので、なんとか昼の人に復帰しなければ。
看護師に復職するという選択肢もあったかもしれない。

「二度と看護師には戻らない」

そう決意して病院を辞めたのに、また病院に戻るなんて…


そう思ってフリーランスとしてヘアメイクやメイクレッスンから始めることにしました。
場所探し、SNS発信、フリーランスとして右も左もわからないけどとにかく

「ここから抜け出したい!」

その一心でガムシャラでした。


罪悪感から逃れられたのはそこから1年以上後のこと。
名古屋から上京して、ヘアメイクの仕事をしながらエステでバイトをしていた時代でした。

「先生のクラスの子達が、卒業制作を無事に終えてもうすぐ卒業式だよ。」

一番仲が良かったネイルの先生からの連絡。
実は私が一番申し訳なく思い、二度と顔を合わせられないと思っていた人からの突然の連絡。

できるのは全力で謝ることだけでした。
私が突然いなくなって、どれだけ負担を追っただろう。
私が突然いなくなって、どれだけ失望させただろう。

私はこれをずっと胸に抱えてきました。

生徒たちへの罪悪感、先生への罪悪感。
実は私が突然上京したのは、これも大きな理由の一つです。


「生徒たちの卒業アルバムに、内緒で先生のメッセージ入れようよ!」
私に最後のメッセージを伝えるチャンスをくださいました。


あの時伝えられなかったメッセージを。
謝罪の言葉と、みんなへの愛を伝える言葉を


そして、
「ねぇ、先生が幸せで活躍していることが一番みんなが喜ぶんだよ」
一番信頼していて、一番お詫びしたくて、一番大好きな人からの言葉に全てが昇華された気持ちになりました。


私は人からの評価を気にしすぎていたなー。
私って嫌な人だとか、無責任な人だとか思われたくなかったんだなー。


今でもあります。
でもそれに気づいて、その傾向が自分にあるって知ることがすごく大切ですね。

自分を大きく見せようとしたり、勝手にあるべき姿を自分が決めていることに気づきます。


本質をいつも見つめられる自分でありたいです。
自分が作り出した理想像ってありませんか?


河合克仁さんの「世界中の億万長者がたどりつく『心』の授業」
たまたまこちらの本を読んでいたのですが、この本からの気づきがタイムリーすぎました。

是非是非、お勧めしたいと思います^^

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