こんにちは、誰かさん《庭師》
庭師は、庭師になって(厳密には庭師をこころざしてから)はじめて気がついたことがあります。
というか、ほとんど気がついたことばかりです。
まずは、長靴を履いているときの安心した気分を知りました。
大雨のあとのぬかるんだ濃い土のうえを、鏡のように空を映す水たまりのなかを、生い茂った草むらを、歩いていくことができるのは、長靴を履いているからなんです。
彼は長靴に本当に感謝しています。
それから、エプロン。
いつの間にやら、エプロンには多くのしみがついています。また、小さな裂け目ができていることもあります。
エプロンをしていると、そのしたに着ている服のことはほとんど忘れてしまいます。
来る日も来る日も同じエプロンをしていると、ほんの、ほんのすこしずつですけれど、毎日じぶんがなにかを世界にむかって働きかけている、というふうに感じ、その気持ちがじぶんを支えてくれることを知りました。
繰り返してきたきたほんのすこしずつの働きが、ある日突然、ほとんどまったくゼロになってしまうことに直面しても、エプロンについている数々の、洗っても取れないしみの折りかさなりやにじみが、そのゼロはこの前のゼロと同じではないと教えます。
あたらしいゼロに出くわすことができたのは、日々のわずかな歩みなくしてはなかったことなのだし、そしてまた、ゼロはまったく色のない無であるということではないんです。しみが洗っても取れないのとおなじです。
彼はまた種を植えたり、土に肥料をくわえて耕したりするでしょうし、そして安心して地面に座って空を眺めることもあるでしょう。
ぜんぜん平気なのです。しみは汚れのことではありません。
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