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「愛」という身近にある哲学

私は哲学とは縁遠いと思っていた。むしろ、「なんとなく難しそう」と毛嫌いしていたかもしれない。昨年、サポートしていた、現在アートの芸術祭の時も「現代アートって哲学的で敷居が高い」と思っていた。

母が亡くなることで、「母がいたとき」と「いなくなった後」で世界が変わることを感じた。
生活面では、サポートしてくれる人がいなくなり、家の中が乱雑になったり、料理の品数が減ったりといわゆるQOLが落ちていた。これは、母がうまく身体が動かなくなってから段々と迫ってきていた。
しかし、母が食べたいというものを少しでも美味しいようにと準備したり、母のために清潔な衣類を用意しようと思うと、私の生活にはハリがあり、母に心地いてもらうことが私の生きがいになっていた。
また、母は「常に私の絶対的理解者である」という安心感が、私を強く、前向きにしてくれていた。そう、ただ母がいてくれることが、私の「アンカー」だったのだ。
そして、母が逝ってしまった後、私は、生きがいとアンカーを同時に失った。

今でも寂しさは止まらない。
母がいなくなってから、大切な人がいなくなるということがどういうことか、初めてわかった気がする。いたときといなくなった後との違い。自分自身が半分、なくなったような喪失感は今もあるが、「愛」とは何か、を改めて思い知らされた。
私には娘がひとりいる。子育てしているときも、娘は自分自身よりも大切な宝物で、彼女からたくさんの幸せをもらった。おかげで彼女は成長し、今では自分で生活している。娘が自宅から出ていったのも、ある日を境にではなく、なんとなく自分の荷物を移動していき、今でもたまに顔を見せるので、少しの寂しさはあるものの、ここまでの感覚は全くない。子育てを修了したという安堵感からもあるのだろうか。

母を亡くしてから思うこと

私がこれまで生きてきて、母がまだ元気でいたときは、好きなこと、夢中になれることはあっても、案外、何も知らず、生きてたんだなと思う。「・・・のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」百人一首、権中納言敦忠の歌は、恋の歌なので、母を亡くしたケースとは全く違うのだけれど、「愛」というテーマでは同じ感覚だ。百人一首は、逢瀬の前と後で愛する気持ちが(より強まって)、それ以前の想いと比べると、以前はまるで何も考えてなかった(愛というものをわかっていなかった)ように感じる、という意味だが、私も、母が亡くなる前と後を比べると「昔は何も、わかっていなかった」と感じるのは同じだ。チコちゃんじゃないけど、ぼーっと生きてたのかも、と思ってしまう。

昨年の芸術祭で感じたことは、芸術は鑑賞するものではなく、自分との対話だ、ということだった。自分を深く、探求した経験があればあるほど、眼の前の作品に対しての想いや感覚が広がっていく。深堀した先にある本質は、入り口が、絵であろうが、音楽であろうが、身近な生活であろうが、なんであろうと変わらない。母をなくした「後」の私は、芸術を感じる力も、以前とは異なっているのかもしれない。

「愛」とは何か、生きがい、アンカー、それらを認識することは、人生の哲学だなと感じる。もし、私がそれを表現することができれば、それは、きっとアートなのだろう。

身近なところに、私自身の中に、哲学もアートも存在するんだなと、母は気づかせてくれた。いまも、埋められない喪失感、心の空洞はあるのだが、同時に、以前よりも、感受性が豊かになり、新しい何かを吸収しやすくなっているのかもしれない。そう考えると、これもまた、母が私に遺してくれたプレゼントであり、人生を楽しめよ、というメッセージなのかもしれない。何かを探すために、また一歩、踏み出してみようと思う。

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