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なんでもないことの幸せ

大きな災害やコロナがあって、この「なんでもないことの幸せ」を実感したひとは多いのではないだろうか。私も、去年、母を亡くしたことで、当たり前がどれだけありがたいかを痛感するようになった。

母がいた幸せな日常

母は私にとって、理解者であり、サポーターであり、そして生きがいでもあった。一緒に生活していたので、この関係はさらに密接だった。母が弱っていたのはほんの1年くらいで入院も1ヵ月、ホスピスには正味4日間しかいなかった。入院中はコロナで面会できなかったし、面会できるようになったホスピスではもうすでに眠ってばかりで、会話らしい会話はほとんどできず、ホスピス初日の「(来てくれて)おおきに」が最期の言葉になった。

母が弱ってからというもの、私の日常は大きく変わった。まず、母がしてくれていた家事を自分でしなければならない。家事といっても、日々のこと以外にも、戸棚を整理するとか、季節の入れ替えとその洗濯等、数えきれない。毎日の料理は、まず献立を考えることが大変なのだ。冷蔵庫やタンス、戸棚は、補充したり、買ってきたりする以前に、わかりやすく整理することがまず大事なのだ。そしてひと手間かけて収納するということ。母が手入れすると、洋服でも靴でも傘でもカバンでも、なんでも長持ちした。子供のお弁当等も、後半は母がつくっていたように思う。何より、母がいてくれたおかげで子供はひとりで夕食を食べなくてもよく、宅配も、母が受け取ってくれていた。夕方も母が電気をつけてくれるおかげで、家に帰れば冬は暖かく、夏は涼しかったのだ。そして何より、子供が成長してしまった今となっては、母は私の生きがい、働きがいだった。母が喜びそうなもの、母に似合いそうなものを買うために、収入が欲しかったかもしれない。母が喜びそうだから、どこかに行くとお土産を買った。少し高いパンや期間限定の高価なジャムも「美味しい」という言葉だけ聞きたくて買ってきた。母が最後まで病院の差し入れで食べてくれた「小さなみつ豆ゼリー」も、もう買うことがない。それは、本当に本当に人生の半分がなくなるくらい、寂しいことだ。

私は「外向きの仕事」が中心で、家の中のことは母にまかせっきりだった(まるで昭和のお父さんのよう)土日だけは料理や洗濯もしていたが、なんだかんだでお弁当を買ってくることも多かったように思う。(主人もいるのだが、こちらも昭和風で、ほんとにたまーにしか手伝わないし、彼は自分の大切なモノ(バイクとか車とか)以外は、一切、長持ちさせる気がないようだ)

私なりの「なんでもない日常」をつくる

母がいなくなって1年。私は私なりの「なんでもない日常」を作っている。母がいるときのように、うまくはいかない。それでも、私なりの少しでも気持ちのよい日常をつくろうと努力している。私自身、年齢も重ね、毎月通う病院からは、もう少し強い注射治療をいつ開始するか検討せよ、と言われている。そう、私自身、カラータイマーが点滅しているのだ。

なんでもない日常は、いつ死ぬかもしれない、と、つながっている。いま、当たり前に仕事や作業をし、当たり前に食欲があり、当たり前に身の回りのことができること、どこでも好きなところに行けること、そんな当たり前のこと達がどれだけ幸せか、私がもっと身体が不自由になれば、きっと今の「なんでもない日常」を最高に幸せだったと思うことだろう。

なんでもない日常は、「小さな目標」というマイルストンを置いたほうがよいので、自分で自分に「すること」を課している。それを小さくクリアする過程を少しでも心地よくすること、それが何でもない日常の質を向上させることだ。その先のどこかで、私はいなくなる。でも、それまで、なんでもないことの幸せをかみしめて、生きていることを大事にしたい。母もそれを喜んでくれていると信じたい。



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