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高石真梨子のお耳のトリセツvol.4 手話ってなに?わたしには必要?|2024.立夏・竹笋生
高石真梨子のお耳のトリセツvol.4
人生で一番「良くきこえているね」とか「きれいに話すね」と言われる日々に、正直なところ戸惑っています
自己紹介で
「わたしには聴覚障がいがあります。音の世界と音のない世界の狭間に住んでいる、手話と日本語のバイリンガルです。」
とお話しすることが、よくある。
わたしが日々文章を書いている倉敷とことこの執筆者プロフィール欄にも書いているし。
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でも、倉敷での日々を重ねるごとに
「まりちゃん、キコエナイとか言いつつめっちゃ喋れるじゃん。ぶっちゃけ手話って必要なの?」
と、周りの人たちが問いかけたがっているようすがヒシヒシと伝わってくる。というか、わりと親しくなった人たちからは直接尋ねられることもあったり。
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実は、今までの人生では「まりちゃんって思っているほど聞こえていないよねぇ」とか「滑舌(かつぜつ)が悪いよねぇ」とか言われることが多かったので、こんなにも「わりと聞こえているよね?」とか「健聴(きこえる人)の人並みに喋れるよね」と言われるのは初めてで戸惑っている。
結論としては、わたしの聴力は重度と呼ばれる難聴なので(直近の聴力検査で障害者手帳の更新を勧められたくらい、年々聴力が落ちています)自分が思っている以上に聴きとれていないし、手話は必要だと思っている。
じゃあ、手話って何なのか。わたしにとって手話はどんな存在なのか。みたいなことを綴ってみようと思う。
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手話は、思考の言語
手話は、音声言語と異なり、手指や体の動き、表情を使って視覚的に表現する言語。つまり手話は言語なので、物事を考え、他者と意思疎通を図り、お互いの気持ちを理解し合うために必要なわたしの思考のツールだと思っている。
わたしは音声でもべらべらと喋れるし、このnoteみたいに日本語で思考をすることもできるから「まりちゃんにとって手話は補助的な手段でしょう」と思われることもあるけれども、手話をしているときは手話で思考するし、日本語で思考するときは日本語で思考する。
どちらもわたしにとっては必要な思考言語なので、手話にも日本語にもあまり優劣はなくて。どちらもわたしの生活になくてはならない言語だと思う。
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特に教育系の専門的な知識や感情面は、手話のほうが思考がはかどる。大学・大学院・社会人最初の5年半は手話で思考することが多かったからね。でも逆に、日本語で聴いたインタビューは日本語で思考していることが多いかも。
だから、倉敷とことこでたまに書いている手話通訳付きで取材してきた記事や聴覚障がいのある当事者団体を取材した記事は、手話→日本語と翻訳をしているので、日本語が変になっていないか毎回ドキドキしながら編集に出している。
日本手話と日本語対応手話
手話には、大きく分けて2つの種類がある。
ひとつは、日本手話。こちらは、日本語とは文法体系・語順・語彙が日本語と異なりる。頷きや眉の上げ下げ、手話の表現の強弱も文法のひとつとなっていて、いわゆるネイティヴ手話。
一方で、日本語対応手話は日本語に準じているので、文法体系、語順、語彙は日本語と同じ。聴者が覚えるのはこちらが多いけれども、英語でいう「ローマ字」のような存在なので、日本手話者には伝わらないこともあったり。
文法でいうとこんな感じで違いがある。
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ちなみにわたしは、声を出しながら手話をしているときは日本語対応手話、声を切って手話をしているときは日本手話に近い表現をしている。
手話は世界共通どころか地域によっても違う⁈
手話は国によって違う。それどころか方言もたくさんあるので、あちこちと転々とするわたしは都度あたらしい手話表現に出会っている。
こんな話をすると「不便じゃないですか?世界共通だったらいいのに」と言われることがあるんだけれども、日本語だって世界共通じゃないけれどみんなにとって大切な言語でしょう?それに、岡山弁だって関西弁だって博多弁だって、その地域の人たちにとっては愛着のあるもので、すべてが標準語でないといけないだなんて誰も思っていないじゃない。
日本語話者がすべて標準語話者でなかったり、日本人が英語で生活をしないように、手話話者にとっても手話や手話の方言は大切なアイデンティティなので「世界共通語だったらいいのに」はちょっと暴力的な思考だなと思っている。
もちろん手話も、なんとなく標準語みたいなものや指文字という50音を表す表現があるので、それらを使いながら互いにコミュニケーションをしている。
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真梨子はいつから手話を使っているの?
小さい頃から簡単な手話単語は知っていたけれども、本格的に手話を使い始めたのは大学に入ってから。わりと、遅め。
高校卒業までは地域のきこえる子たちと同じ学校に通っていたので手話を使う機会が全くなかったのだけれども。大学に入って、きこえない同級生や先輩後輩ができて、きこえない先生にも出会って、少しずつ手話を覚えていった。
手話を使うようになってよかったこと
手話のいいところは、相手の話が見えるトコロ。例えばディスカッションだったり例えば飲み会だったり。音の世界にいると目の前の人以外はどんな人なのか分からないけれど、手話だと相手の話がそれとなく視界に入るのでいろんな人の考え方を知ることができておもしろい。
それから「きき間違い」をしないですむのも良いところ。手話の場合「見落とし」はあるかもしれないけれども、ネイティヴであればあるほど会話をするときに「相手が自分を見ているか」を確認してから手を動かし始める習慣をもっているので、意外と見落としで苦労することは少ない。
どうやって手話を覚えたの?
わたしはたまたまネイティヴの手話者に囲まれる生活をしていたので、最初の挨拶や自己紹介、それから指文字表は頭に叩き込んだけれども、それ以外の表現のほとんどは会話のなかで覚えた。
キコエル赤ちゃんが周りの人たちの会話を聞いて少しずつ言葉を話していくように、手話者たちの手話を見て自然と手話を覚えて使えるようになった。だから、日本人が良い日本語参考書を知らないように、わたしもよい手話参考書を知らないし、日本人が毎日国語辞典を引かないように、わたしも手話辞典を引くことはそんなめったにない。
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実は、手話をはじめて最初の1年くらいは周りの話に全然ついていけなくて、キコエナイ人たちの話にもついていけなければ、キコエル人の話にも機能的についていけない、狭間の溝にはまって寂しい期間もあったけれど。
たくさんの手話者に揉まれて、手話学習を始めてから1年半後には手話でのディスカッションに加わったり手話を第一言語とする子どもたちの家庭教師をしたり。音のない世界も楽しめるようになってきて今わたしがここにいる。
手話で思考するわたしも、日本語で思考するわたしも好きでいたいから
わたしは日々の暮らしの中で、ある場面では手話で思考し、ある場面では日本語で思考し、その両方があって初めていろんなことを感じられているような気がしている。どちらの言語にも優劣はなくて、それぞれに大切。
というか、どちらかだけでは「高石真梨子」という人間は完成しないと思っている。手話で思考するわたしも日本語で思考するわたしも、どちらもおもしろがっていただければ幸いです。
「手話教えて」は、大歓迎です
もちろん「手話教えて」というのは大歓迎。団体でも個人でも、対面でもオンラインでも、日常生活レベルの内容からちょっと深い哲学的なお話、教育系の専門的なお話や、子育てや学校で使う手話なら教えられます。
ご相談は、DMやコメント欄へ
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竹笋生(たけのこしょうず)
そうそう。
2024年度に入ってからは、このnoteだけでなくInstagramのフィードも使って #くらしきで暮らす 生活のリアルを発信するようになった。
noteは週に一回程度だけれども、Instagramは今のところ「ほぼ」毎日更新をしていて、まさに日記みたいな感じ。
Instagramって、投稿した写真が一覧でぱあっと出てくるから、色味とかを考えると写真自体は時差があったりなかったりするんだけれども。でも、その写真を撮ったときの気持ちを紡ぐようにしている。
お花と瀬戸内の海が好きなので、ちょっぴり偏愛気味だけれども、それも生活らしくて実はお気に入り。おいしかったお店は、すぐに思い出せるように地域とお店の名前もトップに持ってきていてまさにわたしの備忘録。
観光地情報でもグルメ情報でもなく、わたしの生活のあれこれをつぶさに紡いでいるのでぜひ見てやってください。
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さっき見たらフォロワーさんが500人を超えていて。数字とか気にしだしたら「わたしらしい生活」よりも「見てもらえる情報」を血眼で探してしまいそうだから気にしない気にしないと言い聞かせつつ、でもやっぱり心を撮った写真や言葉を誰かに見てもらえているというのは、嬉しい。
Instagramの投稿とnoteは互いに行ったり来たりして読むと楽しくなるように書いているので、ぜひどちらも温かく見守ってあげてください。
そんなわけで、また次候にお会いしましょう。
【立夏】夏の始まりの時期
初侯:蛙始鳴(かわずはじめてなく) 5月5日~5月9日
次侯:蚯蚓出(みみずいづる)5月10日~5月14日
末侯:竹笋生(たけのこしょうず)5月15日~5月19日