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「女性がたくさん入っている会議は時間がかかる」発言の本質的な問題点。#わきまえない女 騒動に対して思うこと。
東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森喜朗会長が、2月3日の日本オリンピック委員会(JOC)の臨時評議員会で発言した内容の責任をとって、辞任の意向を表明されました。
女性蔑視と問題視されたこの発言は、森会長が発言を撤回して謝罪した後も国内外から大きな批判の声を生みました。
TwitterなどのSNS上では「#わきまえない女 」「#わきまえない女たち 」「#DontBeSilent 」などのハッシュタグが広がり、社会的にも大きなうねりになっています。
全文から見る、この発言の問題点。どうして女性蔑視と受け止められてしまったのか?
森会長が辞任の意向を示した記者会見では、森会長自身は「女性を蔑視するとかは毛頭ない」と発言しておられます。
どんな人でも、全く悪気なく、無意識で、差別してしまっていたり、偏見をもってしまっていることがあります。これを「バイアス」と呼びますが、そもそもジェンダーの問題は、本人に悪気がなくても無意識に性差別や偏見を持ってしまっている状態=無意識のジェンダーバイアスが組織においても、社会においても大きな問題となることがあります。
一般的にバイアスを持っていること自体は悪いことではありません。人間が処理しなければいけない情報は本当に膨大なので、バイアスを持っていることで、情報をある程度パターン化し、思考の無駄を排除することができるからです。
人間の頭の中では、性別だけでなく、人種や世代、国籍、外見などさまざまなものにバイアスが働きます。
森会長の後任として、五輪選手村村長で元日本サッカー協会会長の川淵三郎氏(84歳)が候補に上がっていると報道が出た時に、「83歳の森会長の後任が、84歳の川淵氏なんて何も変わらない!」みたいな声も多く目にしましたが、これも「80代の男性(ご高齢の男性)」のイメージというか偏見というかバイアスがあるからこそ、このお二人を”同じようなパターンである”と認識している、バイアス発言だと思うのですよね。
そういう意味で、バイアスを外して、一つひとつをパターン化せずに、丁寧に情報処理していくというのは結構大変なことです。しかも意識的だけでなく、無意識のバイアスも発生するのですから。
さて、話を問題の発言に戻します。
「#わきまえない女 」のハッシュタグがSNS上で盛り上がっている中には、「ちゃんと全文読んだのか?」みたいなリプライも結構飛んでいました。
私ももちろん、全文の書き起こしをされた記事を読みました。こちらにもその中の一つを貼っておきます。
この全文の中で、大きく問題となるポイントを絞ると3箇所くらいあります。森会長の発言が誤解を生んだということもあるのですが、メディアの報道の仕方が切り取られていてより悪意を持って伝えられた、という部分もあるようです。その点について、触れていきます。
問題発言①:「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。」
この発言の文脈を丁寧に見てみると、この発言の前に「女性理事を4割」ということについて触れています。スポーツ庁が示した競技団体が守るべき指針のガバナンスコードでは、女性理事40%以上が目標とされていることからこの「女性理事を4割」について触れていらっしゃるわけですが、その後に「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。」という発言が続くわけです。
女性が入っている理事会や会議は本当に時間がかかるのか?
これは時と場合によってはYesであり、場合によってはNoです。下の記事で、若宮兄さんが詳しく解説している内容に私もTotally agreeですが、
例えば今まで男性だけだった会議に女性が参加し、「トイレをつくる」という議論をした場合に、男性だけよりも女性が入った会議の方が長くなる可能性はあります。これは、女性だけでなく、例えば障がい者の方が参加したり、トイレの習慣が異なる外国の人が参加しても、同じですよね。
今までの画一的な価値観の中に、多様な視点やマイノリティの視点を入れて議論することになれば、議論すべき論点は増えます。その分、時間も長くなる可能性はあります。(可能性はある、と表現したのは、男性だけの会議でも多様な視点をも考慮して元々議論されていれば、会議の時間が長くなることはないからです。)
すべての会議が長くなるというよりは、多様な視点を議論すべき議題では、多様な視点に配慮できる人、マイノリティの視点を持つ人が発言する機会が増えて、会議が長くなることがある。それを「女性が…」と発言してしまったことが、女性蔑視と捉えられてしまった大きな原因なのだと思います。
そもそも理事会の本質的な目的は何なのか?
「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかります。」という発言って、女性蔑視というだけでなく、理事会の本質的な目的とは何なのか?という点でも少しずれている発言だと聞こえてしまいます。
理事会の本質的な目的というのは、時間を短く終える、もしくは時間通りに終えることではないですよね。東京オリンピック・パラリンピックは、ダイバーシティ&インクルージョンを、大会ビジョンの実現、ひいては東京2020大会成功の原動力として掲げていたわけですから、よりイタタタタッとなるわけです。。。(東京2020のダイバーシティ&インクルージョンについてはこちらから↓ ↓ ↓)
本来、時間がかかろうと「Know Differences, Show Differences. ちがいを知り、ちがいを示す。」ことを大会においての根幹テーマの一つとしていたわけなので、「多様性を包含した会議において時間がかかること」をネガティブに発信するのではなく、「時間をかけてでも多様性を包含して議論することには意義がある」という発信をして欲しかったな、と思います。
問題発言②:「女性は競争意識が強い。誰か1人が手を挙げると、自分もやらなきゃいけないと思うんでしょうね」
ここの発言は、メディアの報道のされ方と、発言の表現とどちらにも課題があると思います。というのも、メディアによっては、「女性は優れており」という前置きがあって「競争意識が強い」と全文を紹介しているところもあります。また別のメディアでは、この「女性は優れており」という部分がカットされているものもあります。
女性は優れており、競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。
「女性は優れており」と発言しているのであれば、女性を褒めているのでは?と解釈する方もいると思いますが、全文の文脈を読んで私自身はやっぱり違和感があります。
「女性は優れており」の後に、「競争意識が強い。誰か一人が手を挙げて言われると、自分も言わないといけないと思うんでしょうね。」と続くわけですから、本当に”優秀だ”という意味というよりも、「優れている=口が立つ」というような感じで、ちょっと批判めいた感じに聞こえてしまう。
また、その後に『組織委員会の女性はわきまえていて「的を得た」発言をされる』という、問題発言3つめの発言が出てくるわけですが、どうしてもこういう言葉が出てくる森会長の女性に対しての価値観を想像すると「口が立つという意味で優れているが、実際は的を得ていない話ばかりで女性が入ると会議が無駄に長引いてしまうのだ」と感じられているように解釈されてしまうわけです。
なので、「女性蔑視だ」「#わきまえない女 」というハッシュタグをつけて抗議しよう」という社会の受け止め方になるわけですね。
問題発言③「私どもの組織委にも、女性は何人いますか。7人くらいおられるが、みんなわきまえておられる。みんな競技団体のご出身で、国際的に大きな場所を踏んでおられる方ばかり、ですからお話もきちんとした的を射た、そういうご発言されていたばかりです。」
この3つめの発言については、前述したところですが、森会長の「わきまえる」というのはどういう意味合いなのか、そして「的を得た」とおっしゃるということは、裏を返せば「女性の多くの発言は的を得ていない」と暗に感じられてしまいます。
個人的には、会議の場において「わきまえる」「わきまえない」ということについての私の考えはTwitterにも書いた通りです。
男性か女性かの前に、意思決定の席で予定調和に対してYesマンにならないことが「わきまえない」というのなら、そんな意思決定ボード(政治でも理事会でも経営ボードでも)は何の意味も無いと思う。予定調和にYesという人だけでいいのなら、ロボットでいいし、ロボットさえいらない。#わきまえない女
— 猪熊真理子@著書「私らしさのつくりかた」 (@Mariko_1218) February 6, 2021
「わきまえない=空気を読まない」のではなく、本質的な議論に力点を置いてるということだと思う。会議の時間厳守より、出世争いより、上長へのごますりより、目の前の議題に対して「本質的に対処しないと意味がないでしょ。そこを議論しましょう」ということよね。#わきまえない女
— 猪熊真理子@著書「私らしさのつくりかた」 (@Mariko_1218) February 6, 2021
ジェンダーの問題は、往々にして無意識・無自覚で悪気がない。それゆえに複雑で解決が難しい問題でもある。
今回の一件について、森会長の発言の揚げ足とりみたいな記事になってしまったのですが、本来したいことは、発言の一言一句の揚げ足をとるというよりも、
発言の背景にある価値観やバイアスは、”言葉”という表出される媒体を通して透けて見えてしまうものだから、無意識・無自覚の価値観やバイアスに気づいた上で発言することって難しいけれど、実はとっても大切なことだと皆が気づかされたのでは?と思っています。
個人を集中攻撃したり批判したりすることはすべきではなく、したくはありません。個人の問題というよりは、社会が作ってきた価値観の問題も大きいと思うからです。
一方で、この一つの発言で、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会会長という重責を退かなければいけないほどに、社会がジェンダーに対して問題意識を持っているのだな、という点にも驚かされました。ちょっと前であれば、少し報道になったとしても、会長を辞任しなければいけないほどの論調にはならなかったのではないかな?と思います。
ジェンダーへの意識が高まっていること、女性たちが声をよりあげられるようになっていること、そして日本と世界の距離が縮まっているからこそ、このような社会のうねりとなって起きた問題だったのかもしれません。
森会長が辞任をされて終わり、ということでなく、本来立ち向かうべき社会に無意識・無自覚に残っているバイアスをどう掘り起こして、自分たちの問題として手繰り寄せ、変えていけるのか、ということが問われているのだと思います。
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