私の前世は水中生物だったに違いない。
突拍子もないタイトルですが、
昨日10年ぶりにプールで泳いたのですが、あまりにも楽しかった。
泳ぐ楽しさがすごすぎて、「なぜ、私は泳ぐことをやめたのか」ということを考えてみました。(笑)
私の水泳歴を思い返すと、幼稚園生の頃にスイミングスクールに通っていたのが始まりで、いつそこを辞めたのかという記憶が全くない。
泳ぎながら「こんなに楽しいのに、なぜ辞めたいんだろう?」と考えてみたら、2つくらい理由がありそうだということを思い出してきた。
1つ目は、小学校の高学年になるとカッパみたいに早く泳ぐ友達がいて、「到底勝てないな」と思ったこと。
元来、勝負事が苦手な私は、「早く泳げる人が勝ち」という雰囲気に「自分はダメだ」と思ったのだと思う。
2つ目は、水泳は、太ると思っていたこと。
この噂の信ぴょう性は、全くわからないが、これも私が通う小学校では女子がみんなそうだと信じていて、太るなんて、嫌だな、と思った記憶がある。
水泳を辞めたのは、
好き が 上手 かどうかの尺度に置き換わった瞬間だったのだろうか。
私には当てはまらないが、あの時、もし誰かに「君は下手だから、もう辞めなよ」と言われていたとしたら、今めちゃめちゃ恨みたくなっているはずだ。
大人になってみると、この上手いかどうかの尺度で見られることは限られていて、だからこそ楽しめるようになったことも多い。
私の場合、大嫌いだったマラソンもそうだし、ピアノも楽しむ程度に時々弾いたりする、水泳だって速さを問われたら全く評価されないと思う。
前に「先生」をやっていたので、以前の私がその子の「好き」よりも「上手さ」で評価をしてしまったことがなかったのか、と怖くなって、これまでに関わった子どもたちの顔を思い返してみた。
ワールドピースゲームをやっていても、時々「私には無理です」と言いに来る子がいるが、そんな子こそ、輝いていると思える時があるし、生き生きしていると感じることもある。
できないことは見えやすいが、好きかどうかはよく見ていないと気づけないのかもしれない。
これから関わる子どもたちの「好き」にちゃんと気が付けますように、私。
追伸:昨日は、10年ぶりにプールで泳ぎ、「永遠に泳げそうだ」と思ったけど、残念ながら300m泳いだあたりで、息がきれてしまったので、もう少し水の中を楽しめるように体力をつけなければと思ったのでした。
終わり
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