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教育のUberEATS化

5/12のTheUPDATE【オンライン教育は日本を救うのか】を見た私は今、興奮冷めやらぬ気持ちでこのnoteを書いている。

たった一時間に金言が大渋滞。印象に残った金言をご紹介しながら、そこから思考したことについても記録しておこうと思う。


公平を求めるほど不公平になる

公教育はあくまでも誰も取りこぼさないように足並みをそろえることが重要。今回の新型コロナによるオンライン学習導入にしても、子供全員がインターネット環境やデジタル機器を揃え、ようやく動き出す。

「誰かが受けられないと困るから」という理由で全員の足並みがそろうまで「公平性」を保とうとする。

でもその間に、すでに高速インターネット回線の環境下でデバイスを持っている子供はスタディサプリやカーン・アカデミーなど既存のオンライン学習を駆使して独自に進めていってしまう。

つまり公平性を保とうとすればするほど、どんどん不公平になってくるという皮肉。

これは学校の宿題などにも言えるだろう。

とある単元で十分わかっている子もいれば全くわかっていない子もいる。全くわかってない人にそろえて宿題量を出すことで、十分わかっている人はひたすら退屈な苦行になるし、全くわからない子にとって、宿題だけ出されたところで結局わからない。両者どちらも不幸だったりする。

これは「ゼロリスク信仰」が原因でもある。何かチャレンジしたくても一度でも失敗すると非難されてしまいがち。そうなると「絶対失敗しないようにするまで」100%の準備をしないと前に進めなくなるのだ。

チャレンジをするということはリスクを取って前に進むこと。失敗するからその先に成功があるのだ。

以下記事で「ずるい」という言葉にフォーカスを当てたが、「全員が足並みをそろえていないと悪だ」という常識はまさに教育で形成されているのではないだろうか。


脱画一主義!ハイブリッドで良いじゃない!!

今回の参加者で唯一の女性で四児の母、稲葉可奈子さんの発言がキングオブコメントに。

つい体育会系男子校になりがちな(笑)NewsPicksですが、実際に子供を持つ働くママの意見が聞けてよかった。子供1人でも毎日白目向いてるのに、4人(しかも乳児+幼児+児童)って!すごい。

9月入学にすべき?
オンライン学習にすべき?

つい0か100かで議論しがちだけれど、現状Aが合っていないからと全員一斉にBにする必要はない。AだってBだってCだっていい。今大変なんだからとりあえずやってみようよ、AもBもCもうまく融合して使っていこうよ。


幕の内弁当からUberEATSへ

これまでの学校での学習は幕の内弁当だった(ちょっとずつ色んなものが均等に入っていてみんなで同じものを食べる)。でもこれからはUberEATS(自分が食べたいものを好きに自由にチョイスしていく)になっていく。

これは出演されていた松田悠介さんの例え。松田さんの言葉のチョイスがとても素敵だった。
そしてこの本の作者だと知ってびっくり。私の読みたい本リストの1冊。

今の学校では算国理社などすべての科目で平均的に点数を取ることの方が評価される。いくら算数が満点連発でも社会が出来ないと「もっと頑張りましょう」と言われる。

でも、あれもこれもそつなくこなせる平均人はきっとそのうちAIに取って代わられる。

アンバランスでいい、どんどん尖っていこうよ。好きなものばっかり集めたUberEATSでいこうよ。


教育の主権を子供に戻そう(教育のオンラインサロン化)

学校ってそもそも、誰のためなのか。これまでは「教える先生のため」に最適化されてきた。どんなに面白くない授業でも教科書のスピーカーのような授業でもフィードバックや淘汰される仕組みはない。

でも本来、学校は学ぶこどもたちのためのものだ。こどもたちが、自分の学びたいように選べるようにすべきではないか。

先生が指導要領に沿ってやるべきことを押し付けるのではなく、子どもたちが自らの考えで選び取っていく、むしろその選ぶ力を伝えていけばいい。


ティーチングからコーチング

オンライン授業(映像での授業)になると、子どもたちが見慣れている映像のプロ、YouTuberには到底勝てない。これまでオフラインでやっていた授業(黒板に大量の板書をし、読み上げていくスタイル)は見向きもされない。それに各々の先生が授業のために準備するのはかなり時間がかかる。

だったら一人ひとりが授業をしないで、日本中世界中で教え方がうまい先生(もしくはそれぞれのこどもに合う先生)の授業を見てもらい、学校の先生はティーチングからコーチングに回ればよいのではないか。

むしろ先生もその授業を一緒に受け、理解が止まっている子には噛み砕いて伝えたり、もう一度戻って学んでみたり。情報伝達屋ではなく、個々人の学びのスピードやバランスによってそれをサポートしていく立場が求められていく。

ま、それをすでに取り入れているのが今回の出演者、夏野剛さんが理事を務めるN中N高なんだけれど。
(個人的には早くN小が出来てくれないかなと念を送っている。びびび。)


子供を学校から「解放」した

子供が学校に行かずずっと家にいるというのはワーママ・パパには非常にしんどいことなのだが、今回の自粛で光が指した子どもたちもいる。

これまでの学校ではあまり目立たなかった子、むしろあまり合っていなかった子などが、学校が休みになったことでオンライン学習をしたりのんびりしたり、好きを追求したり。自分のテンポで学びに触れることでイキイキするようになった子も多いとか。まさに学校からの解放。じゃあそもそも学校の存在意義はなんだろう。


部活がいじめを深刻化する(選択肢があることが大事)

正直がっつりそれを経験した者にとって、このフレーズは首がもげるほどうなずいた。日中は学校で授業を受け、終わったら学校の部活に。1つのコミュニティだけで過ごすということは、そこで人間関係が詰むともう居場所がなくなる。さらに家庭にも居場所がなかったら…

控えめに言って地獄だ。

たまたま所属した場所が自分に合わないことなんて誰にだってあるわけで、そんな時「別の選択肢を選べる」ことが何よりも大事。

地域のサッカークラブ、オンラインサロン、学校の部活、部活に所属しない。地域の学校に行く、オンラインで学ぶ。

何だっていい、「選べる」という最高の自由を


ベーシックインカムが導入されると学びは変わる

ベーシックインカムがある、ということは何もしないゼロベースで生活が保障されるということになる(もちろん額にもよるけど)。

これまでは生きていくためにより良い学校、より良い会社に行くための勉強を行ってきた。

ベーシックインカムで生活が保障されるのであれば、本当に自分がしたいことにフォーカスできる。今までの学びの概念が変わっていく。

もちろんこれは大人にも言えることだろう。生活が保障されれば、食いつなぐためにブラック企業で働き続ける必要はない。仕事を一旦休んでみたり、また働きたくなったら働いてみたり。やってみたいことにチャレンジしたり。生活のための仕事ではなく、本当に自分がやりたいことについて見つめ直せるのではないだろうか。


オンライン学習が合う子合わない子

学力TOP層(勉強アスリート)や運命の子(オリンピアン)は主体的に学ぶ度量があるので、オンライン学習はフィットする。ただ、小学校低学年(ぬくもり必要世代)や低学力の子はやはり人間のフォローが必要になる。

同じような話(学力別の学び方)をHORIE ONEのこの回でも聞いて、すごくわかりやすかった。

オンラインorオフライン、ではない。オンラインもオフラインも、それぞれの子に合うようなハイブリッドなチョイスが必要なのだ。


デジタル教育はOECD再下位

まあわかってはいたことだけど。2015年で9%と紹介されていたのでもう少し最近のデータを探してみた。

国立教育政策研究所のHPから引用した2018年のPISA(国際的な学習到達度に関する調査)の結果。見づらくてちょっと目がシパシパした。もっとNewsPicksのグラレコのようにパッとわかりやすい表はないものか。


文科省の叫び

先日、情報環境整備に関する説明会を文科省がYouTube配信した。お硬い保守的なイメージの文化省が意外にも、なんとか今の現状を変えたいという魂の叫びとも言える主張だった。

「この非常時にさえICTを使わないのはなぜ?」
使えるものは何でも使って、
できることからできる人から、
既存のルールにとらわれず臨機応変に、
何でも取り組んでみる。


学び=社会で生きていける力

最後の夏野さんのこの言葉がすべてを集約していた。

学びは「学校に通う」ことでも「教科書どおりに学ぶ」ことでも「オンラインで映像授業を受ける」ことでもない。

将来自分の足で生きていくための力を身につけること、が教育なのだ。

新型コロナウイルスによる未曾有の事態で、世の中がカオスになっているけれど、カオスになったからこそ新しいものは生まれていくわけで、ちょっとだけ日本の未来に希望が持てた。

育児と仕事と家事と同時にこなし、くっつかない磁石のN極同士をむりやりくっつけるような虚無感・疲弊感漂う毎日だけど、どんどん進化していく「学び」から目が離せない。


知育教育記事をまとめたマガジン作ったよ

ちなみにこれまで書いてきた知育、教育系の記事は以下にまとめています。




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理系ワーママまりか@オンライン家庭教師
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