自分の体のことを経験的に内側から知っておくことの大切さについて
昨日、ノイラートの船というたとえ話を出して、私というのは航海中の船みたいなものだと書きました。
私というのが全体性としてのワン(one)だということは、外側は存在しないので、自分で自分のことを知りたい時に、外側から知ることはできなくて、言ってみれば内視鏡みたいな方法を使わないといけないことになります。
なにかトラブルが起きた時に、その航海中の船は自分で自分の症状を診断して、航海しながらも修理しながら、そして自分で回復していかないといけない。オートポイエーシスというのもこれだと思います。
ちなみに、他者のことは見えやすいけれど、自分のことは見えにくいというのはこことつながってくる話かなと思います。
本質はそうなんですね。
でも科学の発展している現代社会では、もちろん科学的な方法を使えばいいわけで。客観的なデータとして、こういう食べ物は控えたほうがいいとか、逆に積極的に摂ったほうがいいものとか。科学的データをもとに、自分の体のことを考えて病気になるのを予防することは意味のあることだと思います。
その一方で、その食べ物を摂取する私たちの体というのは、ものすごく個体差があります。
例えばタバコは体に悪いとはいえ、タバコを吸っても100歳まで生きる人はいますし、こんな病気になりやすいという家系的な体質も人それぞれ違います。持ってるアレルギーの種類もそうですよね。
ですから、自分独自の感覚的な経験をもとに、自分の体質の傾向性を知っておくことも大切だと感じます。
野菜を一日何百グラム食べないといけない。アルコールはこれくらいまで、などという一般的な基準というのはあくまでも参考で、個人個人を個別に見た場合、実はそれぞれかなりの差があるような気がします。
例えば、私はお酒はこれくらいまでは気分良く飲める。一日何時間眠ると翌朝気持ちよく目覚めやすいとか。
これってやっぱり観察することだと思います。いい悪いの判断を入れないで、その行為をしている自分をみる。
わかりにくい表現になってしまいましたが、試行錯誤しながら自分の感覚を信じることの大切さについて書いてみました。
外からの客観的なデータだけでなく、内側から感覚的に、経験的にも知っておく。
経験に内属した視点から自分のことを知っておく。