私たちはみんな自分だけの世界を生きている みんな違うものを見ている
私たちは、客観的な1つの事実の中に生きているのではなく、各個人それぞれの中に、客観的、すなわち正しいと思っている現実をそれぞれにもっています。したがって、今起きているこのことに対して、人の数だけ現実があるということになります。そのように解釈をしています。
しかしながら、正しいと思っているその現実をみんなが共有している(同じ認識をもっている)と思いこんでいるために、身近な人に対して、腹が立ったり、どうして、あの人は私のことを理解してくれないんだろうと思ったりすることがあります。
同じく、世界は人の数だけ存在するというのは、上のことを意味しています。世界と言うと、映像や写真、旅行で見たことのあるさまざまな記憶から、誰もが何らかのイメージをもっていますが、世界というのは、ただの言葉であって、実際にはそんなものは存在しておらず、私たちのそれぞれの心の中に世界があるにすぎません。
世界は、私たちの外側に絶対的なものとして存在するわけではなく、それぞれの意識の中で起きているイメージがそれぞれの世界ということになります。
それでは、客観的な事実はどこにあるのか?
そんなものは存在しておらず、目の前に、ただこれがあるだけです。ただこれが今ここにある。それだけです。
直接の経験によってみつかる、思考より前、言葉より前にある、これ。ただこれがあるだけ。