
ワンネスについて
前回、全体性としてのワンネスには、外はないと書きました。
これってどういうことなのでしょうか。
どうしても私たちは外を設定してしまうし、普段は外があるものとして、そういう見方をして生活するので、とてもわかりにくいです。
リアリティはワンなのですよね。だから私たちは深いところでそれを知っている。でも私たちの多くは忘れてしまっている。
哲学のウィーン学派の中心人物の一人であるオットー・ノイラートという人が言った「ノイラートの船」というのがありますが、これはワンネスの話でもあります。
わたしというのは航海中の船みたいなものだと。
航海中に船のどこかが壊れても、わたしにできることは航海をしながらやりくりすることだけだ。航海しながら修理していかなければならない。つまり、どこかに停泊してドックに入って船の外側から修理することはできない。なぜなら外は存在しないから。
だから自分を外から見ることはできない。
これはワンネスだと思うのです。
このことは、前々回書いたことと重なってくるところでもあります。
(私たちが直接に経験しているのは感覚であって、この経験の場にいるわたしは外に出ることはできなくて、常に内側にいるということについて書きました。)
普段はノンデュアルではなくデュアリティを生きていても、私たちの本質は非二元だと知っていること、そしてそれを時々思い出すことは意義深いことだと感じます。