過去の自分に立ち会う意識の経験をする
セッションでは、フェルトセンスと呼ばれる、クライエントさんが身体に意識を向けることで感じられる意味や感覚を表現してもらって、それをずーっとたどっていくことをします。それによって意識を下がっていきます。
以前、瞑想の先生が、瞑想をすることで「井戸の水位を上げる」という表現をされたことがありました。私はセッションで「井戸を下りていく」イメージをもっていて、この2つの表現は同じことを別の方向から指しているのだなと感じたことがあります。
二人で瞑想をする。
この状態は、身体に意識を向ける、すなわち今にいることによって、できやすくなります。ストーンと真下に下がることで、身体の力が抜けて、抵抗がなくなるイメージです。それによってより下の方へ行きやすくなります。
時間も存在しなくなる方向へ。
そこで、クライエントさんに、その時想起される出来事について話してもらうのですが、その前の段階で感情(そのテーマの中で浮かび上がってくる感情)を感じきることができていると、その想起された思い出を自分から離れたストーリーとして語ることができやすくなっています。
これはとても興味深いことで、例えば、幼いときはお父さんが鬼のように怖くて、何も言い返せなかった思い出のある人が、そこで改めて見直してみることで、記憶の中のお父さんと5歳の私がちゃんと話せたりするようになるんです。
絡まっていた糸がほどけるような、そんなことが起きてきます。
これは、ただ観ることによって起きてきます。
難しいときもあります。そのときは無理はしません。
起きる時には起きますから。
この瞬間って、なんか「立ち会ってる」なあと思うんですよね。
自分の過去に立ち会って、自分のことだから「わかる」という経験をします。なんかつながっていくものがあるんですね。
自分が抱えている課題にに対して何らかの示唆をもらったり。自分以外の登場人物の気持ちを感じることができたり。
過去の自分(特に幼少期の自分)に、あの時にできなかったことをやらせてあげる。
意識の経験です。
言葉で説明するとそっけないですが、じーんとくるものがあります。