自分の下(土台)を見る
目覚めるということは、自分が考えていたことが、あたりまえすぎて疑いすらしなかったけれど、そうじゃなかったと気づくことだと前回書きました。
これだけ聞くと、そうだよねとなりそうですが、その自分が考えていることというのは、自分にとってあたりまえすぎて、疑うことすらしないので、普段は表に出てこないんですね。問題にならないんです。
つまりそれは私たちの土台を形成しているもので、私たちの行動を背後で支えている構造です。
そこには幼少期から形成されてきた習慣や規則、価値観なども含まれます。
私たちは歩くときに、右足左足、右足左足・・と歩を進めます。地面が崩れるかもしれないと恐る恐る確かめながら歩くことはしませんよね。それくらい地面に対する信頼性は強固です。疑うことすらしない。
でも、誰かがいたずらで穴を掘っていて、そのくぼみにはまったとしましょう。きっとびっくりするでしょう。
予想もしなかったことが起きるとびっくりする。
それと同じです。
苦しみ悩むときというのは、今まで疑うことすらしなかった強固な土台が不安定になり、ぐらつき始めたときです。
その土台にひびが入り、土台の中を一部見ることによって、私たちは今まで「あたりまえ」だったことに気づきます。
自分にとっての「あたりまえ」で生きられなくなり、問題になったときに初めて、あたりまえがあたりまえじゃなかったことに気づくのです。
こんなことを自分は考えていたんだと、びっくりする。
そのとき私たちは自分の下をみています。
土台をみています。
心理学者のカール・ユングは、「現代人は自分の下をみることをほとんどしない。」と言っています。
自分の下をみること、それは変容のチャンスでもあります。