「公務員を辞めて、実家の呉服屋を継ぐ」 TOKYO研修④ ”はみ出さない、目立たないのが一番”→”おしゃれを楽しみたい”
私はこれまで10年間、公立中学校の英語教師をしていました。もともと、「困っている人の助けになりたい」という思いから選んだ職業で、初めは授業の作り方や生徒理解、生徒への関わり方、指導の仕方など、右も左も分からない中、毎晩夜の1時まで学校に残って授業準備をしたり、通信を書いたり、ノートやテストの添削・採点をしたりする毎日でした。そして土日は部活指導。年々部活指導の時間は削減化されていきましたが(働き方改革が謳われてから少しした頃から)、それはそれは仕事一色の毎日でした。
それでも「しんどい」というよりは、正直毎日が楽しくてしょうがなかったです。職場に行けば子ども達がいる。困った時に助けてくれる同僚や先輩もいる。毎日、子どもたちの「できた!」「分かった!」「先生聞いて!」という姿を見ることができるからです。そして子どもは純粋な「ありがとう!」をプレゼントしてくれる。だから、私も嬉しくて仕事をしまくっていました。笑
そんな私の毎日に、「おしゃれ」という言葉はありませんでした。とにかく動きやすい服装、目立たない服装、肌が露出しすぎない服装、柄ものが目の前にあるとで注意散漫になる人もいるので、できるだけ無地で、考える時間がもったいなかったので何パターンかを繰り返し。土日も基本はこの思考のもとにシンプルな服装で過ごしていました。
”はみ出さない、目立たないのが一番”
これに尽きていました。
それでもよかったのです。私の中の「何を着る」というものの優先順位が低かったのです。ましてや「着物」という文字も浮かんでこなかったです。
しかし、自分にも少し余裕が出てきた頃、父が仕立ててくれたお着物を着る機会が何度かあり、
「あれ、着物って色の組み合わせが面白い!」
「こんな組み合わせもかっこいい!」
と思いが溢れてきました。
最初は自分で着ることができなかったので、まだまだ「自分には程遠いもの」とどこかで思っていました。着付け教室に通い、何とか自分で着られるようになった頃から
「あれもいいな!」「これもいいな!」
と興味が爆発。笑
それでもコーディネイトに自信がない。
周りに着物を着ている人が少ない。
浮くんじゃないか…
そんなことを思って思い切り楽しむことはできませんでした。
しかし、東京へ行って、
自分の「推し」を全面に出して勝負している飲食店や服屋さんがゴロゴロしていることに衝撃を受けました。
「ああ、好きなように自分を表現していいんだ。」
そう思えました。
確かに着物を着ている人は少ない。でも、それはお互い様なのではないか。
みんなそれぞれに好きなファッションを楽しんで、好きな音楽を聴いて、好きな物を食べて、好きな場所にいて、好きな人といる。
私は私の好きなものを楽しめばいいんだ。
こっちの方がいいとか悪いとかなんてない。
何だか目からウロコでした。
ファッションを楽しむって、ある意味自己肯定なんだなと思いました。
そんな私は呉服屋としてこれから何ができるのか。
着物が好きな人に喜んでもらえる何かができたらいいな〜。
今日も読んでくださってありがとうございます(^ ^)