ファッションの哲学、「粋」の醍醐味は「色気」にあり?

久しぶりの投稿です
インスタグラムには長さ的に書けないので
こちらとNOTEに同じ内容を掲載します。(アメブロにも同じ内容で投稿)

その前に、明日11月8日は12時〜17時まで女性スタッフ
17時〜ラストまで僕が接客させていただきます。
冬が始まりましたので、暖色や色の濃いランジェリー
ボディーなんかは今年はオススメです。昨年はビスチェとか
ランジェリーファッションが脚光を浴びていました。

では、今回のテーマ
ファッションの哲学の中で

ファッションそのものを分解していこうと思います
ブログについては参考にさせて頂いた本や文書と
そこから僕の知識見解を混ぜて書かせて頂きます

まず、ファッションに欠かせないもの、、、、
は何だと思いますか?

それは、、、

「他人」

です。

ファッションに疎い人もファッションだけを見つめてる人も実は同じで
他人を意識していないという点です。

ファッションは「印象」を作ります。コスプレはその印象度はファッションより
強いです。印象は英語でインプレッション、外から中に刻み込む、、、

外の環境から心の内側に刻みスタイルを作り上げます。コスプレや制服、
スタバのエプロン、下着だとカルバンクラインがここに良い感じに
ハマっているのではないでしょうか?サルートもそうですね。
ブランディングにもちょっと引っかかってきますが
カルバンクライン女子という言葉がある様に、何となく気になる存在に
なってしまう、、
今はこういう「印象」の存在だけ触れておきますね

それに対してインプレッションの反対はエクスプレッション 内から外に
魅せる事、つまり「表現力」になります

「個性」

という表現力になります。

しかし、現在はインスタグラムなど流行でもメディアが作る流行から
SNSが作る流行の細分化していますよね。
細分化したことによって生まれたのが、インフルエンサーです。
細分化しないと、流行なんて大きな存在を掴む事はタレントでも
ない限り不可能ですから。

右に左に多く造られるトレンドによって
ファッションブランドが振り回されているのも事実かなと
思います。

しかし、ファッションの観点で見ると
流行に乗っかった個性は実は非個性的なんです
あくまでも流行の中で作る自己表現ですから。

流行的なものを売っているお店、ファストファッションは特に
そこには個性というのは存在しないです。

「オシャレ」は定義を読んでいると自分を着飾るものではなくて、実は見る人への気配りや
思いやりで、他人の視線をデコレートする定義なんだそうです
そう、オシャレはホスピタリティーみたいです。

僕の見解も近くて、洒落は自分を着飾るものだと思うんです、ここは逆に思っています。
少しの他人との違いを楽しむもので、、そしてオシャレをしている人を見ると
なんかワクワクします。視線をデコレートするという言葉はいいなと思います。
奇抜で個性的な格好をすることがオシャレでは無いという事もわかりますし
社会の中での自分の存在という定義がそこにはありますね。

次のところでもう少し触れますね。

ランジェリーはどうなのかな、、ということを考えました

ランジェリーは他者を考えたホスピタリティーの塊だなと
思うんですね。
そして、自分にもインプレッション(印象)を与え
自己暗示にほんの少し流行のエッセンスを加えているのが
ランジェリーだけでなく、イタリアのクラフトマンシップ魂に
存在するものなのかなと、、、、

〜〜〜〜〜〜〜〜

では、次に行きます。

この概念は面白い概念です

着飾るセンス(ドレスアップ)と着飾らないセンス(ドレスダウン)

これは僕は他者を考えた強めなホスピタリティだと思います。

「ドレスコード」という概念もそうですね
ドレスコードにはドレスアップの定義だけでなく、
カジュアルな格好で、、というドレスダウンのドレスコードも
ありますよね。

こういうのを見ると、ファッションは社会の中で生きているんだな〜
というのがよく分かります。

「ファッショナブル」という言葉がありますね
これは江戸時代では「粋」という言葉に当てはまるそうです。

粋というのは、文書のまま書かせてもらうと
・張りがあって
・色っぽい
・垢抜けしていること
これが「粋」とされていたそうです。

江戸時代って男女関係なく、色気って人間の性として
大事にされてたんだな〜と思いますね。

今ジェンダーレスと言いますが、ジェンダーレスという
言葉はファッションにおいて僕は爆弾だと思っています
ここでは触れないですが。。

1930年代の九鬼周造さんというハイデガーの存在論などを
研究していた哲学者がいて
その人の文献で「粋の構造」というものの中に
「粋」とは薄物を身に羽織った姿、湯上り姿、柳腰、細面や流し目、など
やはり、ちょっとセクシャルな要素を含んでいるのを粋と説いています。

面白いですね!
しかも、これ、他人に媚びないという前提があるんです。
媚びてたら粋ではないですよね、。

ヌード関係の仕事をしている人?セクシー女優さんも僕の考えでは
粋なんですよね、行為は行為なんだけど、媚びてないんですよね
1つの仕事として存在していて、その先には媚びがない。

現代のそれこそランジェリーファッションもそうですね
ランジェリーファッションで肌を出してるからと言う事で
別に誰かに媚びてはないですよね。1つのスタイルなんですから

見栄えや張り、少し心の緊張を与えるのが「粋」

「肌の露出」の点からランジェリーを考えると
インポートのランジェリーって媚びない肌の出し方なんですよね
生々しさのなさすぎない、バランス。
これはとても面白い部分です。

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最後のトピック

服は自分の地位を作ります。ファッションは人の心を揺さぶります

極論ですが、むき出しの裸は退屈しやすいです。
それ以上はもう何も無いわけですから、、

ヌード写真集を出すのはその業界の人に聞くと脱ぐ勇気もあると思うけど
脱いでいく過程の中で
その先はもう無いので、最後の砦という事を聞きました。
そして、無毛でなくヘアというのが売れる条件らしく
ヘアは衛生的な部分もありますが、隠すという概念も多くあります。

ファッションでいうと、裸よりも、胸元袖口のスリット、パンティーライン
異性の心を揺さぶる要素は強い場合もあります。

ファッションは欲望の形を象ります。

・セクシャル

・品位と優美

・情愛の肌理 

など、心を立体的に表現出来るんです。

ファッションは一番外側の自分という事ですね。

そして、艶っぽいところだけでなく

社会への抵抗、中学くらいになると
髪を染め出したり、ちょっと色々やり出す、、、アレですね。
・ツッパリ
・飽き
年代によってちょっと社会に抵抗したり
する事でその年代その年代で自分らしさを表現して
自分自身を成長させてくれるのも

ファッション

なんですよね。

そして、服やスタイルはいつでも脱いで変えれるという事なので
いつでもイメチェンできる、自分を変える事が可能である
というのも人とファッションの存在意義において
凄い大事な定義です

ファッション雑誌が今凄い苦戦しているのは
今日この文面だけでも

とても立体的だし感情的だし、受動的なもので
あるだけに、ターゲットというのを作ってしまって
人は成長するけど、雑誌は成長せずにその年代に留まってしまったのが
難しくしてしまったのかなと思います。

ランジェリーブランドでも同じところにハマってしまったのが
ヴィクトリアシークレットですね。

さて、今日はこの辺りにしておきます
毎日は大変なので、変則的になりますが

また投稿しますね。

JUN


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