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5年後じゃなく今すぐ幸せになる

私の両親は共働きで、母は私が中学生になる頃には正社員としてフルタイムで働いていた。
子育てや家事をしながらのフルタイムはどんなに大変だったか。
仕事の繁忙期などは特に余裕がないように見えたし、話しかけても上の空でささくれ立っているようにも見えた。

その母が定年後、華麗なる変化を見せる。

定年を迎えてすぐ、当時私が仕事をしていたエジプトへ友人を4人も引き連れ来たかと思えば、砂漠キャンプで砂漠キツネに携帯を奪われ、ナイル川クルーズのダンスパーティーを満喫し、衛生的でないトイレやレストランに不平不満を一言も言わず、鳩も美味しく食べて、ラクダとロバにも乗った。

そこには
生まれ変わったように楽しむ母がいた。

それだけじゃない
帰国後、元々ヘビースモーカーだった母があっさりと禁煙した。
興味があった古布を使ったつるし雛の教室に通ったかと思えば、いつのまにか自宅に生徒を招いて今度は教える側にまわっていた。今では地元の歴史ある酒屋に自分の商品を卸している。

あっという間に好きを仕事にしてしまった。
そんな人が、こんなに身近にいた。

母が楽しそうに生きている。
そのことが、この数年の私を幸せにしている。

毎朝、私と彼氏は満員電車で一緒に通勤する。
余裕のない私は、空返事をする。

心は会社へ行くことへの不安に完全捉えられ
ただただ宙に浮いて憂鬱な顔。
きっと、毎朝出勤前にタバコを吸っていた時の母と同じ顔をしているだろう。


もし可能なら
私は、あの時の母に言いたい。
「大丈夫だよ。定年後のお母さんは好きなことをして楽しそうな毎日を送っているよ」

ではなくて、

「お母さん。
今すぐ、毎日好きなことをして欲しい」と。

現実的ではない無責任な言葉だとわかっている
だから自分以外の人には言えない。

でも自分になら言ってもいいのだと思う。

なぜなら
私の人生に責任を持つのは
私だけだから。

私は東日本大震災で人生観が変わった人を
間近で見てきた。
大切な人を失ったり、故郷を失ったら変わらないはずがない。
生きていることが、日常の幸せが本当に愛おしく思え毎日を愛おしく思えるはず。

けれど私は
あの時のような大きな災害なんかなくても
常に毎日を愛おしく思いたい。

毎日人生の瞬間を生きたい。
正しく言うと
そう思える心の状態で居続けたい。

少し強引な表現かもしれないが
たとえ水曜日の満員電車の中でも、人生を愛おしく感じたい。

隣にいる彼氏にきちんと心を向けて
今の、その瞬間を楽しんでいたい。


これは半分、抽象的な意味だけど
半分は本気で思ってる。

これって現実的じゃないのだろうか。


明日の不安や心配で、目の前の瞬間を楽しめないことほど馬鹿げたことはないのに。

命の時間を
わざわざ嫌な気持ちと引き換えに
無駄にしてるだから。
本当に馬鹿らしい。


なんでこの10年間
満員電車に揺られてたんだろうか。


自己啓発セミナーやYoutubeで学んだ
イメージや笑顔の力、自分のご機嫌をとる方法は根本的な解決にはならない。

私は神経質だから
毎日心の平穏を保つライフハックを
たくさん持っている。

けれど、それでは長い人生を泳ぎきれない。

いい意味で鈍感で、自信満々で
自分の欲望に素直で
運がいいことに感謝する類ではなく、自分が運がいいのは自分にその価値があるからだと。
控えめにでも思っている人達は世の中にたくさん存在する。

私の彼氏もその1人。

生きやすそうだなと羨ましくなる時があるけど
そうなりたいとは思わない。

私は不安定な自分が愛おしい。


だから手っ取り早く、
まずは一番嫌な「満員電車に乗る」ことを
辞めてみた。

手っ取り早く、今の瞬間を楽しむ方法。
単略的で浅はかな方法。
でも試してみたい。

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