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2012.12.18 北澤豪

元日本代表・北澤豪選手。

修徳高校出身。


向笠先生が話してくれたこと。

修徳高校に入った頃、北澤は細くて小さかった。
誰も北澤がプロになるなんて思わなかった。
それでも、本人は「必ずサッカー選手になる」と努力していた。

高校時代、全国大会でPK戦になった。
修徳は、キッカーを自分たちで決める。
北澤は5人目になっても蹴らなかった。
結局、その試合は敗戦。
向「なぜ蹴らなかったんだ?」
北「小学生の頃、雨の日のPK戦で、蹴ったボールがゴールまで届かなかったからです」

修徳でも、はじめの頃は試合に連れて行ってもらえなかった。
たまにメンバーに選ばれても、ビデオ係だったり。
それでも、いつも独りで練習していた。
試合でシュート外したら、終わった後、独りで10個ぐらいボール抱えて、外した所から黙々とシュートを打っていた。

本当に、誰も北澤がプロになるなんて思っていなかった。
ただ、北澤本人は、ずっと信じ続けていた。
向「おい、将来どうするんだ?」
北「僕は、絶対にサッカーで飯を食います!」
じゃあ、おまえが行けそうなチーム探すか…って。
そんな選手が、最終的に日本代表の選手にまでなった。
確かに、高校時代、相当な筋トレはしていたけどな。

人間、できないと思ったことは絶対にできない。
でも、できると信じ続ければ必ずできるんだ。
どうせやるなら、高い目標を持った方がいい。
そして、自分だけは絶対に信じ続けてな。

北澤という男は、そうやって日本代表まで行ったんだ。


この話を聞いて、OMAの涙腺が危なかったというね。笑

明八生の心にも響いただろうか?




他ブログより

現役引退後は親善大使としてサッカー後進国を飛び回っていた北澤氏。
アフリカのザンビアを訪れた際の、こんな感動的な逸話が残っています。

「ザンビアに行ったら本当に大変だということがわかりました。
だって知られているより死亡率が高いんです。
平均寿命が37歳ぐらいで、生まれながらにして病気を持っていて
生後2、3日ぐらいで死んでしまう子供も沢山いました。
施設の裏庭に子供たちのお墓があるんですけど
墓石が足りなくてミルク缶が墓石になるくらいどんどん死んでいっちゃうんです。
そんな中、サッカー教室には140人ぐらいの子供たちが来てくれました。
スパイクを履いている子もいるけど、裸足の子もいる。
一緒にプレーしていると転んで血を流す子もいます。
するとその傷口にハエがたかって、卵を産んだりするんです。
エイズを発症している子供もいました。
スタッフに、一緒にいるだけなら感染しないけれど彼らには触れない方がいいと言われました。
でも、もうそんなの関係ないんですよ。
このまま死んでいくよりも、肌と肌を触れ合わせて
少しでも幸せな気持ちになってもらえればいい、
と本気で思いました。だからみんなを抱きしめたんです」
(北澤豪/39歳/元日本代表)




おわり


熱病フットボーラー OMA

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