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■マリーアントワネットは『ここではないどこかの象徴』


💖熱量高めで
あなたを真反対の世界へお連れする💖

お手伝い心理カウンセラー・
マリチャンヌです。

わたしは現在、
心理カウンセリングを通して
心のボタンの掛け違いをゆるめてほぐし


未来を思い出すお手伝いという
お仕事をさせていただいています。


子供の頃・・

うんこをする、ふんばる時

出ない時、、


わたしは、歴代の好きだった男の子を
思い浮かべて
「助けて〜」と心で叫ぶ癖がありました。



今、好きな男の子は、除外です。



大人になると、さすがに
理性でやめていきましたが


本当に、心から
その癖を必要としなくなっていったのは

きっと三十代に入ってからでは
ないでしょうか?


抑うつから生還して以降かな?


『自分と仲直り』


それが、ここに絡んでいたとは
思いませんでした。



今日は

「マリーアントワネットは、
ここではないどこかの象徴」

について書いてみようと思います。


よろしければ最後まで
お付き合い頂けると幸いです。



わたしは、
学校の水飲み場の水を飲むとき


『今わたしは、フランスにいて
フランスのお水を飲んでいるの・・』


そう思って目を閉じて飲んでいました。



雑巾バケツの水を
汲んだり流したりと同じ場所。


目の前は
濡れた砂だらけ。



水自体は、決して不味いわけではないのですが


だけど、現実逃避がしたかった・・



砂だらけの排水口を目にしながら
水を体に入れることは

みじめな現実のど真ん中にいるようで
受け入れたくなかったんですね~



目を閉じて水を飲む
脳内のわたしは、
マリーアントワネット


ピンクの世界で、わたしは貴族です。


目を開けた時の落差は
毎回ものすごいものがあるので

落胆もお馴染みでしたが


そんなやり方で

都合のいい世界の
紙飛行機に乗りながら

その場その場を
ふらふら乗り切って生きていました。


心理講座の塾で学んで以降、

わたしは、自分の本当の願いについて
向き合い、見つめていくようになり


自分のなかで、
似たパターンがちょいちょいあることに
気づけるようになりました。


うんこの時と同様、
「誰にでもあること」
「同じ条件下にいる」のに


わたしは、綺麗なものだけの世界で
都合のいい
綺麗な自分だけ見せて生きていきたいという
癖があったのです。



『いつも丁寧に扱われる場所にいる人でいたかった』
それは表向きの願いです。



本当に受け入れ難かったことは

かっこ悪い自分を忌み嫌っていて
寄り添ってはあげたいという気持ちが
育っていなかった事実のほうでした。


不足のあるわたしは、恥ずかしい存在、
それが罪。


親自身も受け継いできた
価値観の鵜呑みとはいえ

思いやりのかけらもなかったという事実は

思い出すと、今でも胸がずっしりと痛みます。


あの頃、自分を責めるのではなく

してあげたかったことが、
たくさんあったのになぁ・・


いたわりの意味の「ごめんね」が
湧くようにこみ上げてきます。


とはいえ、現在も、役所や病院などにある
古い冷水器の溜まりが
汚れているときなど

お水を飲む時

マリーアントワネットの癖が
でることはあります。



そして、自分の中の自分が、
ちょっと笑います。

「ごめんね・・・」


「いいよ☆」


ニヤッとして

ほのぼのが広がってその場を後にします。


あの頃より、わたしは
そんなわたしのことを

ちょっとだけ好きです。


ちょっとだけ好き・・・

「なんと!大事なことなんでしょう」


ね*



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