■深い部分をすくい上げたら、かわいいわたしの創り方が出てきたよ
💖熱量高めで
あなたを真反対の世界へお連れする💖
お手伝い心理カウンセラー・マリチャンヌです。
わたしは現在、
心理カウンセリングを通して
心のボタンの掛け違いをゆるめてほぐし
未来を思い出すお手伝いというお仕事をさせていただいています。
心理カウンセリングのご相談で
お話を聞きながら
このような悩みを打ち明けられることがあります。
「わたしはブスだから人生うまくいかないんです」
「だって太っているだから
わたしはうまくいかないんです」
相談されるかたは、いつだって切実です。
わたしもその昔、容姿で軽く扱われたり
逆に他人を、容姿のみで
軽く扱ったりしていたことがあります。
今ならそこには
たくさんのことが隠れていたことにも
気がついています。
逆に言えば、それがあったから
そこじゃないよ、って
にっこり話が聴ける自分もいます。
ありがたいことです。
そこで今日は
「深い部分をすくい上げたら、かわいいわたしの創り方が出てきたよ」
というお話しを書きます。
よろしければ最後までお付き合いください。
わたしは中学生まで、男子からみて
「ブス」と呼ばれる
扱いのチームにいたようです。
色黒で痩せていて顔色の悪い子だったので
どうにもしようがなかったんですが
決してうれしくはありませんでした。
中学生の時、理科準備室で
同じ班の太った少年に、前後の会話なく
「ブス」と
面と向かって言われたことがあります。
なぜそんなことを
言われないといけないのだろう?
理不尽な気持ちになり
「ブタに言われる筋合いはない」と
わたしは吠え、
「ブス!」「ブタ!」と
不毛すぎる泥仕合をしたこともありました。
高校に入り、屋内の部活だった
書道部に入った途端
なぜか地黒から顔が白い人になっていました。
仕事をするようになり
顔色の悪さをカバーしただけの
簡単なメイクをするようになる頃には
容姿に関して何かを言われることが
なくなりました。
自分が思い込んでいたよりは
まーまーイケてたのだと思います。
しかし
『それは、若いからだと思う・・』
ほめられても、わたしはそういう風にしか
受けとりませんでした。
自分は足が太いとか、
ブスと名指しで呼ばれた過去など
容姿にはプラスの記憶がないため
わたしの中のわたしは、いつまでたっても
「痩せた地黒の顔色の悪いふくらはぎの太い人」
のままだったんですね。
誉められること
=誰かに揶揄される出来事が
ひとつ減った・・という、
安心感が増えただけ
「わーいありがとう」と
舞い上がって受け取ると
いうことはありませんでした。
わたしはいつも先のばかり考えて
悲観する癖がありました。
今若くて、持ち上げられても
人生は、おばさんと呼ばれるように
なってからの方が長いのだから
素人の綺麗な中年を目指して
生きていった方がいい・・と
その年齢で、老いを恐れる一面もありました。
そんな18、9歳の頃。
家の畳の上でゴロンと仰向けになって
何の気なしに
手鏡で自分の顔を見ていました。
わたしは
不足を探し、責めるお家芸の
伝承者ですので
「もっとこうだったらいいのに・・」と
自分の顔の足りないところに
いつものように目を光らせていました。
だけどこの日はボーーーッと何も考えず
ただ、映るものを見つめていたようで
ある瞬間、急に
「あ、この人、アリだな!かわいい!」
「いい!!」
自分の顔が「好き」という気持ちが
ストンと、入ってきたのです。
何かが、反転しました。
今ならわかります。
『わたしが今、いい、と思えば
それで良かったんだ
ただそれだけのことだったんだ・・』
若いわたしの中にも、その時期
自分を愛する芽は出ていたんですね・・
それを磨いて大事に育ててあげていたら
たどり着く境地は
似た場所だったかもしれませんが
また違った人生だったのかもしれません。
20数年後、紆余曲折の果て
おもしろい事実と繋がっていることを知りました。
まりちゃんのお母さんは綺麗ねぇ、と
小さい頃から言われてきたのですが
母は、フルメイク美人でもありました。
母は三兄弟の末っ子で
上の兄姉は、端正な顔立ちで
ファニーフェイスの母は、
比較され、ブス!と扱われ幼少期を過ごしたそうです。
お化粧美人になり
急に周りの扱いがよくなりましたが
自分の容姿のセルフイメージは
傷ついた頃のままのものを引きずっているので
母もまた、おきれいですねぇ~✨と
言われて、ちょっと舞い上がっても
秒速でそちらに戻るため
『誉めを受けとる』が
圧倒的に苦手なのだそうです。
わたしは、フルメイクの技量がないため
未だにマスカラひとつ塗れませんが
エピソードとしては
全く同じ道を、知らずに歩いていたんです!
わたしがあの頃、見た目で判断されることに
食ってかかりながら
しがみついていたことって
容姿だけではなく
スキルの数や結果重視など
表に見えるものだけで判断し
自分のことも他人のことも
裁いてばかりいたころの
動機とも同じだったんです。
他人の評価へのしがみつきは
自分を信じてあげられない
自信のなさでもあり
卑屈さが表情にも
満々と出ていたのではないでしょうか?
一度の人生です。
できる限り、心の声を優先しながら
自分が喜ぶことをしてあげたいですね。
迷走期を経て
気づけたちょっと深い話も書いています。
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