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1歳の息子が教えてくれたこと

ソファに座って、最近お気に入りのジンジャーシロップ・ウィスキーお湯割を飲んで、息を吐いた。

こんな静かな時間、昨日の夜には全く想像できなかった。

忘れてはいけない。そう思って、誰かに読んでもらうわけではなく、未来の自分のために書いておきたい。


はじまりは昨日の夕方。

1歳の息子が、化学薬品(苛性ソーダ)が付着したへらを誤ってなめた。

私は馴染みのお店で石鹸づくりしていて、その原料の一つが苛性ソーダという薬品だった。

私は息子のなめたへらに薬品が付着していたことを知らず、しばらくして息子の頬がやたら赤く、一部茶色の変色があることに気づいた。

最初は別の客が持ってきたお菓子のココアがついたのかな、と思ったが、ふと近寄ってみると、茶色いく見えた部分は、皮膚がべろりとはがれおちていた。

私は「なんかおかしい」と叫んで、慌てて息子を洗面台に連れていき、顔を洗った。

そのまま、風邪で寝込んでいた夫を呼びだし、小児科医院へ。

2軒断られて(それ自体信じられん・・)、なんとか終了間際のクリニックで診てもらう。大したことない、という感じで、湿疹用に使っていたステロイドを塗っておいて、と言われて終わる。

安心して帰宅。ごはんを食べ終わった息子の顔を見ると、下唇がパンパンにはれ上がっている。口周りの皮膚はただれ、赤黒く変色していた。「悪くなっているんじゃないか」。夫の言葉に戦慄した。

調べると、化学薬品によるやけどは、洗い流しても皮膚に浸透したり、残ったりして、その後も症状が進行する危険があるという。熱によるやけどより、深刻になることが多く、皮膚組織へのダメージも強い。変形した息子の顔を見て、一生の傷になる可能性が頭を支配する。

息子を寝かしつけながら、事故が起きた時を思い出していた。

・・・

私は前日なぜか眠れなくて、疲れていた。

いつも家事や子育ての負担を分け合う夫は、めったにない風邪で寝込んでいた。

私は引っ越し準備もあって、ワンオペをしながら余裕のなさを感じていた。

午後の石鹸づくりは息子連れでは迷惑がかかるだろうし、疲れて面倒をみきれない可能性を考えて、リスケを相談したけど、何とかなるだろうと最終的にやることにした。

お店は普段と違って、お客さんがひっきりなしに出入りして、店長は忙しくしていた。

お客さんや店長の家族が息子をかわるがわる見てくれたけど、その一瞬は誰も見ていなかった。

私は2回目の石鹸づくりで薬品の危険性や道具の使用状況などほぼ認識していなかった。店長は私がある程度わかっていると思っていた。

・・・

その一瞬、すべての網目をかいくぐって事故は起きた。

でも、私が感じたのは、「何が原因か」ではなく、「すべては私に責任がある」ということだった。

子どもが安全に健やかに育つこと。生まれた瞬間から、それは親の最大の責任なんだ。そして、それを全うするのは全く簡単なことではない。片手間でできることでは全然ないんだ。

当たり前、なんだけど、私はその責任を本当の意味ではわかっていなかった。受け止め切れていなかった。これは、全力でやるしかないんだ。

この地球上にいる大人たちはみな、安全に育ててもらった奇跡の証なんだ。人が育つためには、たくさんのケアと目と心をくだいた人がいるから。それをしてもらったからこそ、自分はいま返していくんだ。

化学やけどは特殊なケースで、医療資源が豊富ではない地方で、夜になって診てくれるところを探してもたらい回しのような状態だった。さらに悪いことに、事故の次の日は休日だった。電話をかけ続けながら、涙があふれた。

自分が全力で守るべき責任を果たせなかったからだ。顔に傷が残ったら、大きくなった息子になんていえばいいんだろう。

眠れない夜のあと、息子はある時を境に劇的に傷が回復した。体が薬品を中和して、悪化が止まり、回復に転じたのだと思う。

まだただれた肌は残っているけど、ようやく安堵した時に、この渦中で気づいたもう一つの学びを書いておきたい。

今回、子育てをしながら、自分がやりたいことをやるには、周りの人たちから多くの助けを必要とすることを痛感した。私はこれをかなり低く見積もっていた、あまり気づけていなかった。今回、夫が寝込み、お店の人たちが忙しくしている中で、自分が片手間で子供を見るのは無理だと実感した。

私は元来、多少無理をしてでも、自分のやりたいことをやる、という生き方をしてきた。好奇心、欲求、刺激などを、DOすることで満たしてきた。

けれど、私はいま大きな変容の時期にいて、特にこの一年は自分の内面を深く見つめる時間を持つことができて、この生き方自体を変えようと思うようになった。そして今回、自分が内側の深い部分から願うこと、本来の自分を生きるためには、周りとの調和が絶対に必要なんだと思った。家族や周りの人たちが健やかに、無理せずにいられること。そのバランスの中にあるからこそ、私も生きたい人生を生きられる。私が無理をすれば、それは周りにも負荷がかかる。自分がやりたい、だけではなくて、みんなにとって良い形を目指そう。

それが、息子の事故が教えてくれた深い気づきだった。

今回石鹸を一緒に作った人が、「最近、ようやく子供と対等になった気がするけど、二十数年間、私はずっと子どもたちに教わる存在だったと思う」と話していた。

まだ小さな小さな息子さん、あなたが私を親に、そしてより生きたい私に近づくように、いろんなことを教えてくれているんだね。

いつか、言葉が伝わるようになったら、ありがとうと伝えたい。


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