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終戦記念日に考える。〜チリ人パートナーにした原爆クイズ〜 〔#26〕
今日8月15日は終戦記念日です。突然ですがクイズです。
「広島に投下された原子爆弾の名前は?」
数年前、チリ出身パートナーと広島観光(原爆ドームや原爆資料館を含む)に行きました。その際に撮影した原爆ドームの写真を、帰りの電車でスマホで加工し、彼に出したクイズです(笑) 彼、正解してましたよ! (適当な加工&英語でスミマセン!)
答えは、1. Little Boy(リトルボーイ)です。
2. Fat Man(ファットマン)は長崎に投下された原子爆弾の名前です。
3. Enola Gay (エノラ・ゲイ)は、リトルボーイを投下した飛行機の名前です。
小学生の時、原爆にこんな愛称があったと知り、気分が悪くなったのを覚えています。
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慶應義塾で大学生だった母方の祖父は戦争に駆り出され、終戦後はモンゴル抑留で約2年壮絶な生活を送り帰国したそうです。(祖父の兄弟はシベリア抑留で亡くなっています)
母からたまに、生前、祖父がこんなことを言っていた、という話を聞くことがあります。私が覚えているのは、
「馬で痔が酷いことになっていた。」「馬に乗っている日本兵。対する海外兵との戦力の差は明らかだった。」「モンゴルでは極寒の中で食べるものが無かった」「トイレはし始めた瞬間に凍った」「日本人の上官に、学歴でいじめにあい、鞭打ちに合っていた。」といった、切れ切れのストーリー。
そして、「夜中のうめき声が怖かった」と母はよく言います。夜中、悪夢でうなされて物凄いうめき声を発していたそうです。
色々とモンゴル抑留について調べると、日本人同士で何故、鞭打ちが?と言う疑問を裏付けるような内容がネットにちらほらありました。祖父のがこれと関係あるかは不明ですが。
おじいちゃん、帰ってきてくれてありがとう。おじいちゃんの笑顔を久しぶりに見たいなぁ。
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先日、The Economistが「日本の原爆被爆者の話が、世界が再び核兵器の使用を阻止する一手となるかもしれない」という記事をtwitterで投稿していました。
The stories of Japan's atomic-bomb survivors may help deter the world from using nuclear weapons again https://t.co/g6nnVSjswZ
— The Economist (@TheEconomist) August 6, 2020
私はこの投稿に対する海外の人たちからのコメントを見て驚きました。
「同様に『日本がしたこと』をしないよう阻止するといいね」
といった日本を批判する言葉たち。
視点を変えれば日本は悪者で、それが戦争です。
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チリ出身パートナーとの話に戻りますが、ロンドンに住んでいる時
『この世界の片隅に (In This Corner of the World)』を映画館で
『火垂るの墓 (Grave of the Fireflies)』を自宅で
一緒に見ました。
『この世界の片隅で』についてはロンドンの地下鉄のホームにポスターが掲示されているのをよく見かけました。
彼は、どちらの作品でも涙を流し、火垂るの墓については「どうして見せたんだい・・・!」と泣きながら言っていました。
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現在被爆者の平均年齢は82.6歳だそうです。終戦時に7歳だった方達です。私の祖父母はずいぶん前に亡くなっています。私の母は「もっと戦争の話を聞いておけばよかったなぁ。あまり話したがらなかったし、聞いてはいけないと思ったし、正直、聞きたいとも思わなかった。でも私が子どもの頃は今より戦争についてのテレビ番組が多かったよ。」と言います。戦争は人の命や日常を、人が国をあげ正義を掲げて奪う、それはとても愚かなもので、あってはならないということを、生きた言葉で聞く機会が減っていることが恐ろしいと感じます。
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戦争について触れようとすること、知ろうとすること、伝えようとすること、平和について考えることは止めてはいけないと思い、
次、チリ人パートナーと再会した暁には、「硫黄島からの手紙」を見てもらおうと思います。(笑)
おしまい。
今日はずっと自宅にいたので冷やっとシリーズはお預けにしました。
映画やアニメは戦争の悲惨さを後世に残すために作られていますから、どんどん見ていきたいですね。