甘えた選択肢だとしても、自分の声を聞いてあげたい
昔から「選択肢を選びとって、道をつくること」が怖かった。
その一方、「これがしたい」と思えばそれしか見えなくなる。自分でも矛盾しているなと思うけれど。
昔から頑固で思い込みが強い。1つ決めたらそこしか見えなくなり、目指して走ろうとしてしまう。たとえ、それが自分に向いていないものであっても、直感が呼んでいるのだから間違いない、なんて思ってしまう。
それなのに、目標にしていた光が見えるところまで近づいて初めて、光の裏にある影の濃さや思っていた色や形と違うことに気づく。
不思議なことに、すぐそこまで来たとしても一度違和感を覚えてしまうと一気に色あせて見えるもので。そこから目を逸らそうとする自分に気づいては、ぎりぎりのところで引き返す……を繰り返してきた。
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高校1年の頃、ある国家資格を見つけて「大学でこの勉強をして資格を活かして働きたい」と、専門的に学べる大学を志望校に据えていた。そう思い続けていたはずなのに、いざ大学受験が近づいてきた高校3年で進路を変える決断をする。壊滅的な理数科目、D判定すらも見たことがないE判定の連続、このままだったらどこにも合格なんてできないのではないか、と不安にかられたんだっけ。
通学圏、国立か私立か、受験科目、合格可能性……などをずらっと並べてみると、私の夢はずいぶん遠ざかってしまった。一つの選択肢に執心していた私が新しく選んだのは、法学部。スペシャリストを目指していたはずが、”なんでも目指せそう”な学部に切り替えたのだから自分でもよくわからない、と思った記憶がある。
大学進学後、「別に勝手に勉強をする分には構わないだろう」と、その資格や将来像を知ろうと他学部の授業に潜り込む。徐々に現実を知るにつれて熱が冷めていくのを感じていた。私が見ていたのは「資格を取るために勉強をして、必要な知識を得た状態」だった。どんな人のために、どんな場所で具体的な支援をするのか……資格教則本にはたった数行しか書かれていない世界が、私にはとてつもなく重く、難しく感じられてしまった。
資格を取るからにはお金も時間もリターンも得ないといけない。そう思いながら、資格の名前しか見ていなかった自分の浅はかさを知ると同時に、選択肢が広がったことをうっかり安心してしまった。
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新卒の就職も、最初の転職活動も「何を身につける?」と未来の選択肢を増やせることを……とよく言われてきた気がする。100点の選択をできたかというとそんなことはまったくないし後悔もたくさんあるけれど。
それから、ひとつの経験を深めたりキャリアを積んだりするほど、新しい選択が取りづらくなるのをリアルタイムで感じている。「これならできる?」を突きつけられている様な。
でも。
気持ちの面はどうだろう。現実に打ちのめされることも多いけれど、ずいぶんと楽に構えている今があるのも本当。
思い描いた選択肢を選んだら想像よりもずっとしんどい、ということが普通だった。でも「自分が望んだのだから」と言い聞かせてただただ耐える日々もあった。
だからなのかもしれない。「これは自分にとってはとてもつらい」センサーは徐々に研ぎ澄まされてきた様に思う。それに、逃げたくなる現実を避けて
でも、健康で生きていくためには大事じゃないか、と考えている今がある。
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「ここで逃げたら東京にはもう戻って来られないよ。そういう負け犬の人生を歩んでいくしかないんだから」
ずっと呪いみたいに心にひっかかっていた言葉。
関西に戻って、1年が経つ。
もしかしたら逃げただけなのかも知れないけれど、緊急事態、ということも相まってなのか、東京を離れたことを不思議と後悔していない。
きっと私なりに少しずつ選択を繰り返して、暮らしや習慣を作ってきただからなんじゃないかと思っている。
「この選択肢で生きていく」「こんな生活を送りたい」と、前向きな選択だけで過ごす人生は私には長すぎる気がしている。
「選ばなくて良かった」「選んだ結果、次はやめようと決めた」だって、私の中では大切にしてあげたい正直な声には違いない。
何度も「何者かになりたい」と願いながら、理想のイメージ通りにはなれない現実を行ったり来たりしてきた。
それでもいい、と今なら思える。
たとえ、目指した資格を持っていなくても、東京で思い描いた生活を送っていなくても。
昔の私が知ると、「まだこんなところにいるのか」ってがっかりするかもしれない。でも、それでもいい。今なら”したくないことを選ばない”ことはできるかもしれないよ、と伝えてあげよう。
さ、ちょっとずつ動き始めよう。
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