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自分のことが一番見えづらいから困る

数年ぶりに「自己分析」なるものと向き合っている。退職して約1か月。季節労働も終わりが見えてきたところで、そろそろ重い腰をあげて転職活動を始めようとしている。
自己分析も面接も「もうやりたくない!」って心の底から思っていたはずなのにやらないといけないのが苦しいところ。

それにしても、短所は死ぬほど出てくるのに長所の類は驚くほどに出てこない。これまで周囲に言われたことを思い出してみる。
真面目、言われたことをちゃんとやる……

ちょっと待って、それは長所なのか?と脳内でストップがかかる。
小さい頃の“真面目でいい子”は手がかからなくて楽な子。大人になっての“真面目”は面白みがない人。会社での“真面目で言われたことをちゃんとやる”は、応用が利かなくて、言われたことしかできない……という揶揄が含まれる場合があることぐらい私にだって分かる。

穿った目で自分自身を見て、性質すら卑下してしまうのは我ながら悲しい。真面目に生きていくのって悪いことなんだろうか。

新卒時代、つらくてつらくてつらかった月曜の朝を支えてくれたのは、上司でも同期でもなく、紛れもなく少年ジャンプの「ハイキュー!」だった。何度、逆境に立たされても「強くなるためなら何でもやる」みたいな不屈の精神を持つ人たちばかり。何度も勇気をもらった。(この作品のいいところは、現実に割と忠実なところ。そんなプレーないでしょ、みたいに一気に冷めてしまうことがない)

数々の熱戦が繰り広げられる中、不意に思い出したのは春高の2回戦、主人公のチームと対戦する京都代表の稲荷崎高校の主将。スタメンではなく控えの選手だ。
高校トップクラスで”一癖も二癖もある”選手たちをまとめあげるキャプテン。体格に恵まれているわけでもなく、強烈なスパイクを繰り出すわけでもない。もしかしたら、「ハイキュー!」でなければ特別描かれることもなかったかもしれない選手なのかもしれない。
おばあちゃん子で、祖母から言われた「神さんはどこにでもいる、誰かが見とる」の言葉をずっと大切にしてきた。自分に陽があたらなくても、誰かに見られる日がいつか来る、と信じてバレーに打ち込んできた。

信念である「ちゃんとやんねん」を、当たり前の様に体現していた。
そんな人の真面目さは揶揄されるものなのだろうか、とふと思ったのだ。
ちゃんとやる、はとても難しいものだ、と私は思っている。一つのことに打ち込むことも、1つひとつを丁寧に行うことも、それを毎日続けることも。
もし、「真面目はばかを見ることなの?」とその選手に問いかけられたら、迷うことなくかっこいい、と答えるだろう。

同じ言葉をどのように使われるかは自分次第だけれど、せっかくなら、真面目はかっこいい方がいい。なんて思っている。

以下は、転職活動を始めて2週間の雑記です。とても個人的なところなので有料にしています。


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