夫との死別[2] 「鳥」 -DALL-Eで生成する生まれ変わり
イソヒヨドリ
今朝、イソヒヨドリの声が聞こえた。
夫のいない春がやってきた。
ほとんど自然のないエリアにあるこのマンションに住んで何年も経つ。
いつ頃からか、春になるとイソヒヨドリが綺麗な声を聞かせてくれるようになった。
声が聞こえると、一目見ようと夫とふたりでそっと窓に近付きその存在を確認した。
夫は「いそっち」と呼び、私もそう呼ぶようになった。
「仕事に行くとき、いそっちがいた」と嬉しそうに教えてくれた。
ヒヨドリ
山や公園にもよく行った。
私は、特に「ピピピーピピッ」という鳥の声が好きだった。
でも、それが何という鳥かも分からないし姿も分からない。
「いまの聞こえた?私の好きな声」
そう伝え、夫も「ピピピーピピッ」という声の存在を認識した。
“何という鳥かは分からないけれど私が好きな声”として、私たちは5年、10年…と時を過ごしてきた。
ひょんなことからその声の主がヒヨドリということを知ったのは、夫がいなくなった後だった。
夫ならヒヨドリのことを何と呼ぶだろう。
ムクドリ
ある日、夫が「すごいから見て!」と興奮気味に帰ってきた。
何事かとガレージに行くと、夫の車が鳥のフンまみれになっていた。それも見たことがないほどの数で車が覆われている。
信号の停車中にムクドリの大群に出会ったと言う。
そのあまりの数の多さに、車を大切にしている夫を気の毒に思いながらも大笑いした。
大切な車が汚れたことに腹を立てるでもなく、嬉々として私に見せて笑う夫。
あぁ、この人と結婚して良かった。
ツバメ
夫のガレージにツバメの巣ができた。
夫は毎日のように、「今日もツバメの赤ちゃんが元気だった」とか、「賑やかに鳴いていた」とか、「親鳥は少し離れた電線にとまっていたから見張っているのだと思う」などと様子を教えてくれた。
ふたりで元気に巣立つよう願った。
気付くと巣には誰もいなくなっていた。
少し寂しく思いながらも、「元気に巣立ったんだろう」と話した。
ツバメが同じ巣に帰ってくる確率は低いらしい。
もし、今年帰ってきたら毎日観察しよう。
搬送
夫が旅立ってからは、目が回るほどやるべきことがあった。
病院で警察の方が来るのを待っていると深夜になった。検視のために夫が連れていかれる予定だ。
「搬送を終えるまでは必ず院内にいてください」
「私たち医療スタッフも何度目にしても心が痛いものです。ご家族が目にされるとお辛いですから」
親切なスタッフの方が教えてくれた。
袋に入れて搬送されるらしい。
ドラマで見る遺体袋のようなものだろうか、そう思ったことは覚えている。
「もう警察は行きましたよ」と言われて帰宅した。
葬儀場
検視だけのはずだったが、司法解剖が行われることになった。
手術で大変な傷を負っているのにこれ以上苦しめないで欲しいと思ったが必要なことだ。
「司法解剖を終えた後は葬儀屋さんと警察までご主人を迎えにきてください」と、警察の方から言われた。
深夜に帰宅をして、通夜告別式ができる場所を探した。
この時、葬儀を扱う会社は24時間営業なのだと知った。
大変な業界だな、まともに働かない頭で思った。
予約が1週間後しか空いていないという場所が複数あった。
12月はご不幸が多いらしい。
事故に遭って痛い思いをして、大変な手術をして、司法解剖をして、それだけでも十分過ぎるほど夫は辛い思いをしたのに、さらに冷蔵庫で1週間もひとりで過ごさなければならないようなことだけは避けたい。
近い日程で予約可能な場所を見つけた時には朝だった。
家に帰れない夫
司法解剖を終えれば夫は家に帰れると思っていた。
楽しい旅行をした後も、豪華な旅館に泊まった後も、いつも夫は「やっぱり家が一番落ち着く」と言う。
毎回その言葉を聞くたびに、インテリアや模様替え担当の私は誇らしく思っていた。
だから、少しの時間でも家にいられたらと思っていた。
エレベーターのサイズを確認後、「ご自宅にはお運びできません」と言われた。
遺体は縦にはできないので横向きで乗ることのできるエレベーターでなければ無理だと言われた。
夫が今の姿で家に帰ることはもう二度とない。
決めることが多すぎる
セレモニーホールの方々は、それはもう感動するほど親切だった。
家族を失った遺族への配慮が随所に感じられ、適切な言葉を選択されていた。
混乱状態の中で進められたのはスタッフの方々のおかげだ。
遺影
「遺影に使う写真を選んでメールで送ってください」と言われた。
私は夫が大好きなのでたくさん写真がある。
この記事の写真も、前回の記事の写真も私が撮った夫の写真だ。
問題は、夫が笑顔でカメラに写るタイプではないことだ。
私が勝手に撮った自然体の写真か、しぶしぶ無表情で写っている写真ならたくさんある。
「遺影」で検索すると良い笑顔の写真がたくさん出てくる。
断言しても良い。そんな写真は一枚もない。
多くの写真の中からようやく「これだ!」というものを一枚見つけた。
夫が大切にしている車と一緒に写っている。しかも微笑んでいる。
奇跡の写真だ。
周りは「微笑んでる…?」という反応だったが、間違いなく微笑んでいる。
ただ、もうひとつ問題がある。
背景が微妙なのだ。色々な物が写ってしまっている。
自分でPhotoshopで加工すれば良いが、精神的にも状況的にもできる気がしない。
セレモニーホールの方に相談をするとトリミングをしてくれると言う。
「青のグラデーションと紫のグラデーション、どちらが良いですか?」
濃い色から白になる強いグラデーションのあれだ。
それは避けたい。
「薄いグレー単色、または薄いグレーから白の自然なグラデーション」とお願いをしたところ快く対応してくれた。
いかにも遺影写真という印象ではない自然な仕上がりに感謝した。
参列した方々も「夫くんらしいかっこいい写真」と言ってくれた。
プラン
お花の豪華さでランクが分かれた基本プラン、料理、棺、骨壺、白装束、粗供養品…どれもこれもいくつもランクやオプションがある。
すべてその場で決めていく。
哀しみの中で決めなければいけないということを除けば、結婚式のそれと同じようなものだ。
これまで、葬儀は形式的なものなので何でも良いと思っていた。
しかし、夫のために、そして参列してくださる方々のために良い選択をしたいと思った。
事故以来、経験する前にイメージしていたものがどんどん崩れていく。
棺は黒ベースにシルバーとゴールドの刺繍が入ったクールなものにした。
とても夫らしいと思った。
参列した方が口々に褒めてくれたので、きっと夫のイメージにしっくりきたのだ。
音楽
家族葬なので一棟貸し切りだ。
広くはないが狭くもない30名ほど入ることのできるホールだ。
オルゴールのような音楽が流れているが、どうも夫らしくない。
「スピーカーを持ってくるので音楽をかけても良いですか?」
スタッフの方は少し驚いた顔をした後に、「良いですよ」と笑顔で言った。
夫が寂しくないように、できるだけいつも通りに過ごして欲しかったので、Spotifyのプレイリストを再生したかった。
初めて夫のSpotifyを開いたときに泣き崩れた。
「クリスマス」の作りかけのプレイリストがあったのだ。
毎年、クリスマス前にはイルミネーションを見に行ったりクリスマスらしい過ごし方をする。車ではその年の夫厳選のクリスマスソングのプレイリストを流してくれるのだ。
まだ途中のプレイリストを一度だけ聴いたが、それ以来聴くことはできていない。
お寺の方がいない時はずっと音楽を流していた。
スピーカーにスマホ、メガネ、香水、みんなが持ってきてくれる写真や雑誌。賑やかになっていく夫の周辺。
それらを置いておく素敵な場所がそっと用意してあった。お供えを置くところはもちろんあるが、それとは区別した新しい場所。
特にスピーカーは良い位置に配置されていた。
ホールの方はそれぞれの裁量で動いているのだろうか。
通夜にはR&Bを、告別式ではHIPHOPのプレイリストを再生した。
通夜告別式で何てことを…自分でもおかしなことをしている気がするが良いのだ。家でみんなで過ごすように過ごして欲しい。
「この曲を聴くと夫くんって感じがする」
「車でよくかけていた曲だ」
親しい人たちがそう言ってくれて、ホッとした。
湯灌(ゆかん)
夫が司法解剖から戻ってきた時に、ショックを受けるかもしれないと念押しされたが夫は夫だ。
どんな姿でも私の気持ちは変わらないし受け止められる。
私が会う前にホールの方ができるだけ綺麗にしてくれていた。
それでも病院で会った時よりも随分痛々しい姿だった。
翌朝には湯灌(ゆかん)だ。
棺に入る前にお風呂入って綺麗にしてもらう。
家族は湯灌に立ち合うことも多い。
私も祖母が亡くなったときに立ち合った。
私はどんな姿でも見ておきたいと思った。
しかし、夫はどうだろう。
家でも私の前で堂々と着替えることはない。きっと私に今回の身体の傷を見られるのは嫌だろう。
だから、立ち合うことをやめた。
湯灌の後は白装束を着るらしい。
夫には普段着ている服を着て欲しいと相談すると、「では白装束はお足元に入れさせていただきますね」と言われた。
夫は着たくない服は絶対に着ない。それがどれだけ高価なものでも、贈り物でも絶対に着ない。
だから、夫がいつも通りの服を着ることができて安心した。
キャップは棺が閉まらなくなりそうなのでニット帽にした。これで頭部の手術跡も見えなくなる。
死化粧(しにげしょう)
夫は髭にこだわりがあった。
湯灌師の方に写真を渡し、同じように整えてもらった。
うん。いつもの夫だ。
死化粧には少し問題があった。
ファンデーションがムラになっていた。
もう少しなじませて欲しい、このあたりが気になる、など調整をお願いした。
チークが濃すぎて、頬がまあるくピンクだ。
これは夫が嫌がりそうだと思ったが、あまり注文を付けるのは申し訳ないので、誰も見ていないときに指でぼかしておいた。
よし。顔色もばっちり、服装もいつも通りだ。
「寝ているようにしか見えない」
「いつもの夫くんだ」
そんな声が聞こえて嬉しく思った。
参列者にはいつも通りの夫を覚えておいて欲しい。
実際には血の気が引いた顔色、口は閉じなくなったまま硬直してしまい、痛々しい傷が多数あった。
それが湯灌と死化粧によっていつもの夫になった。
湯灌師の方には感謝しかない。
参列者
夫は、平均寿命の半分も生きられなかった。
「お若いのでご予定よりもたくさんの方が来られると思います」と言われた。粗供養品を多めに用意しておいた方が良い、と。
身内と一部の人にしか連絡をしていないし家族葬と伝えてある。
しかし、プロの方がそう言うのならとお任せした。
実際にその通りだった。
立ち見と言って良いのか、ホールの外にまで人がいるほどたくさんの参列者だった。
家族、同級生、車仲間、スポーツ仲間…夫は多くの人に愛されている。
最期のお別れ
夫の幼馴染は、ふたりが一緒に写っている昔の写真(フィルム時代の恐らく一枚しかない写真)を棺に入れて欲しいと言った。
「故人の棺に、生きているあなたが写っている写真を入れることはよく考えてからにして欲しい」と言ったが、「“この写真”を入れて欲しい」と即答だった。
よく家に遊びに来ていた後輩も、「俺と写っている写真も入れて欲しい」と言った。
車仲間でもある親友は、もう手に入れることが難しい数十年前の雑誌だ。
以前、夫に「読ませて欲しい」と頼まれてそのままだったと言う。
私を含めた皆が夫にいつでも会えると思っていた。それぞれが後悔のないようにして欲しいと思った。
メッセージカードが用意されていた。
各々が夫に向けたメッセージを書いた。
私は夫に何と伝えれば良いのか分からず、結局書くことはできなかった。
最期のお別れのときは、棺が閉まるのか心配なほどお花でいっぱいになった。顔だけがやっと見えている状態で苦しそうにも見える。
「花、入れすぎ」
夫がそう言いそうで、私は涙でぐちゃぐちゃになっているのに、なんだか可笑しくなった。
皆がお別れをして、私が最後に近寄ると、私と夫が写った写真だけは埋もれてしまわないように胸のあたりに置かれていた。
お花を入れたすべての人の優しさを感じ、立っているのがやっとだった。
こんなにもたくさんの人に愛され、大切にされ、必要とされている夫。
まだ逝ってはいけない人だ。
事故に遭ったのが私なら良かったのに。かわってあげたい。
神様仏様、どうか私と夫を入れ替えてください。まだ駄目なんです。
夫は駄目です。連れていかないで。
火葬
もうこの姿をした夫を見るのは最後だ。
火葬はあっという間だった。
実際にあっという間だったかは分からないが、時間が飛んだような感覚だったことを覚えている。
お骨上げをした時は“無”という感覚だった。
火葬後の熱気のせいか、お骨を夫だと認識できなかったのか。
涙を流すこともなかった。
喉仏が仏教において大切にされている骨ということは知っていた。
仏様が坐禅をして合掌しているように見えることから大切にされている。
男性の喉がボコッとなっているあの喉仏は軟骨なので残らない。
火葬後に喉仏と呼ばれるのは第二頸椎だ。
夫の喉仏様を見てハッとなった。
顔の部分がポッと薄いピンクになっている。花の色がお骨に移ることで色が付くらしい。
私が色に驚いたことに気付いたのか、火葬場の方が教えてくれた。
前で合わせた手はハートの形だった。
まったく、夫はいつも私が喜びそうなことをする。
すべてを終えて
「夫くんのことをよく分かっているマリアンぬさんだからできた、夫くんらしいお見送りだった」
「この表現が良いのかわからない。でも、すごく良いお葬式だった」
そう言ってくれる人たちがいて嬉しかった。
すべてが終わるまではがんばる。
夫は私のしっかりしているところが好きだ。
だから、しっかりするのだ。必ずやり通すのだと自分に言い聞かせていた。
刺すような辛さ、自分の半分がもぎとられたような痛み、えぐられるような苦しみ、今生きていたくないという絶望、それらを閉じ込めて何とか終えた。
私の友人には一人も連絡をしなかった。
きっと顔を見たら、膝から崩れ落ちて二度と立ち上がれないと思ったからだ。
友人たちには葬儀を終えてから連絡をした。心配をかけてしまった。
どのくらいまともに眠っていなかったのかはもう覚えていない。友人に話を聞いてもらいながら、安堵の気持ちでようやく眠ることができた。
鳥に生まれ変わるなら
夫と「鳥に生まれ変わるなら何が良いか」という話をしたことがある。
夫はハヤブサ。
私はピンクロビン。
ピンクロビンはハヤブサの背中に乗せてもらうと約束をした。
画像生成AI、DALL-E3で生成した画像は、まるでいつも私を気遣う夫のような姿だった。