初めまして。
こんにちは、まりじょーと申します。
私は2児の母をしております、が、きっと「アダルトチルドレン」の一人だ(った)と思います。【怒り】のコントロールが上手にできず、すぐ大声を出して怒鳴り散らしたり物に当たったりと、とにかく【大きな音】を出しまくっては周りにストレスをばら撒いていました。
その中の犠牲者には、もちろん子供達も含まれていたわけで。。。
申し訳ない気持ち、情けない気持ち、色々混ざった気持ちを整理できなかったが故 自己嫌悪に溺れ満ちた日々を(特に)過ごしてきた2020年。
色々自分自身と戦いを続けてきました。
もうちょっと軽く自己歴史を書かしてください m(__)m
・’86年の夏に生誕。結構裕福な家庭に生まれ育ちました。
・人生で初めて自殺未遂というものをしたのが5年生の時。理由は特には無かったと思う、というか「理解」は全くしてなかった。ただ覚えているのは、その時の瞬発的反応で下した動作が「自殺未遂」という結果になっているだけ。
・日本を離れ北米に引越ししました。中学の時も未遂までは至らなかったものの、自殺計画を数回経てたし遺書もその都度書いていました。日本語で書いた時もあれば、英語で書いた時もある。ただ、二か国語一緒に書いた遺書は一枚もない。
・大学1年生の時体調不良で主治医の元を訪れた際「重症の鬱」と診断され、その言葉が私を(ある意味)突き落とした。「鬱」と診断されたことが悔しかったのか、今となっては知る由も無いけど、結果お酒におぼれていた毎日。自殺したかったけど怖くて、当時たどり着いた結論が「酒飲み続けて内臓から壊していこう」というもの。しかし、ただただ酒に強かった私。記憶は飛ばないし、二日酔いもないし、ザルではないけど飲み続けることができた若き日々・・・
・25,6歳のとき出会った【主人】。当時の私には輝かしかった人物。今となっては絶対結婚相手に選ぶ相手じゃないと断言できるんですが(;^ω^)その時どれだけ私が闇の中で手探りで生活していたか、を常に思い出さしてくれる存在となっています。ま、日々感謝、という事ですかね。
・自然に子宝にも恵まれ、嬉しい気持ちもありながら産後鬱に即なりました。待望の第一子の時は、自分でも悲しくなるほど子供に興味が無く新生児の可愛い娘を目の前に「要らない」と拒否していた時期も一時有ります。その時は私の母が助けてくれました。母が居なかったら、娘は私のもとで居れたのかな・・・第二子の時は産後鬱になることは無く、逆に母性本能丸出しでした。子供を突き離すようなことは無かったかな。
・2014年ころかな、Borderline Personality Disorder(境界性パーソナリティー障害)と診断されました。この結論には、いまだに納得がいってない私です。私自身、友人、主人みんな揃って 私は Bipolar Disorder(双極性障害)が当てはまる、と思っています。ただ、当時私の発散癖が腕を切りまくることだったので、BPDと判断されたみたいです。薬は「飲まされていた」というのが事実。
・2020年、今年、厄年ですよ~ コロナで職を失い、一時別居もあり、ズレが半端ない私たち夫婦は未だにギクシャクしています。11月末まで私は手探りで毎日を過ごしていました、子供達と。薬も嫌気が勝ち、とうとう勝手に摂取を辞めました。今は薬を摂取していた時以上に快適に過ごすことができています。そして12月、転機は訪れましたよ。今は毎日を(愚痴りながらも)楽しく過ごすことができています。
軽く、、、こんな感じかな。
ある意味「自伝」っぽく書きあげたいので、詳しくは徐々に出てきます。
鬱、人格障害、2児のママ、、、私には、どうしても「薬」の存在が許せず、摂取していた時も「子供達への害が減らせるんであれば」という思いがあったから持続できていただけで、結果がなかなか出ない事で 薬があっても無くても症状は変わっていない、という事に気付くことができました。
そんな私を、よろしくお願いします。