【エッセイ】ハラレの雷(テーマ:雷)
「14時10分の特急は、雷の影響で40分遅れて到着いたします。お急ぎのところ申し訳ございませんが、今しばらくお待ちください」
さっきから同じようなアナウンスが繰り返されている。私は今、駅のホームにいる。実家から東京へ戻るところだ。
「キャ~!」
雷が鳴る度に女子中学生たちが悲鳴を上げている。無理もない。今日の雷鳴は、今年一番の轟音だ。しかし、私はこれくらいでは動じない。この数倍の雷鳴を聞いたことがあるから。特急が到着するまで、今から28年前の「ある雷の日」に遡ってみたい。
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28年前、夫に海外赴任の辞令が出て、2年と1ヵ月の間、ジンバブエ共和国で暮らした。アフリカ大陸の南部にある内陸国だ。「アフリカの穀物倉庫」と呼ばれるほど農業が盛んで、製造業や鉱業も発達していた。治安は悪くなく、おいしいレストランも多かった。「ビクトリアの滝」や野生保護区などの観光資源も多かったので、アフリカでも一、二を争う「ツーリスト・パラダイス」だった。日本に帰りたくないと思うほど、いい時間を過ごした国だった。
私たちが借りていた家は、首都ハラレの市街地から車で15分の住宅地に建っていた。3LDKの平屋と、プール付きの広い庭。プールの周りには芝生が広がり、芝生の周りには色とりどりの花々が植えられていた。その花々の周りには、木々が青々と生い茂っていた。
ある日、その木々のうちの1本に、大変なことが起こった。その日は、朝から激しい雨音が聞こえていて、稲妻が走り出すと、雷鳴が始まった。夫はすでに出勤していた。地響きのような、耳をつんざくような、今まで聞いたこともない轟然たる雷鳴に、私は毛布をかぶって震えていた。
1時間ほど続いただろうか。豪雨と雷鳴が止んで、ホッとしていると、玄関のドアベルが鳴った。ドアを開けると、ギャリーが立っていた。ギャリーは、我が家で雇っていた18歳の少年。花木の世話やプールのメンテナンス、家の中の掃除など、住み込みで働いてもらっていた。真面目で正直で、几帳面な仕事ぶりだったので、私たちは彼をとても気に入っていた。
そのギャリーが珍しく慌てていた。とにかく外に出てきて、と言っている。急かされるまま、庭に出てみて驚いた。2メートルほどの木が、真ん中から真っ二つに折れている。折れたところは黒く焦げていて、かすかに煙が出ていた。さっきの雷が、我が家の庭のこの木に落ちたのだ。どおりで雷鳴が大きかったはずだ。もしもあの時、好奇心か何かで庭に出ていたら、私はどうなっていただろう。ギャリーは、こんなこと初めてだと、白い歯を見せて笑った。
そしてギャリーが言った。斧が必要だと。折れた木を薪にしたいと言う。あと1ヵ月もすれば雨季が終わって、乾季がやってくる。ここハラレの標高は1500メートル。乾季になれば、最低気温が零度まで下がる。暖炉にくべる薪が必須になるのだ。
夫の職場から斧を借りてくると、ギャリーはすぐに振るい始めた。木を切る音が住宅地に響いた。近所の人が入れ代わり立ち代わりやってきて、黒焦げになった部分を見ては驚き、帰って行く。ギャリーは2時間ほどかけて、折れた木を薪にしてくれた。
夕方、帰宅した夫が、積み上げられた薪を見ながら言った。
「火事にならなくて本当によかった。ハラレは高地だから、気をつけないとね」
この後も、雨季が終わるまで、雷鳴は何度も響き渡り、私はその度に震え上がった。しかし幸いなことに、落雷はこの日だけだった。そんな日があったことを、今日の雷が思い出させてくれた。
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「大変お待たせいたしました。特急が到着いたします」
駅の空は、さっきとは打って変わって明るくなってきた。
ギャリーは今、どんな空を見ているのだろう。私たちが帰国してから、かの地はすっかり変わってしまった。インフレ率が一時期、220万パーセントを超えた。ガソリンや主食のトウモロコシ粉を手に入れるのにさえ、大変な苦労をしていると聞く。その上、新型コロナウィルスの感染が追い打ちをかけている……。彼の地の空にも、明るい陽が一刻も早く差し込むことを祈らずにはいられない。
(テーマ:雷 2021年8月に書きました)