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恥ずかしげもなく愛について語ろう〜第5回 強運に生きるワザ 前田義子

今回の本は、私が最も過去に読み返している本のご紹介です。

好きすぎて、温泉に持ち込んで読んでいたり、自宅のお風呂でもよく読んでいたので、もう紙が変色したり、歪んでいます。しかも、線がたくさん引いてあるし、ドッグイヤーもたくさんついていて、かなり年季の入った本になってしまいました。

第5回 強運に生きるワザ 前田義子


この本の著者前田義子さんは、知性と品格をコンセプトとした高級ブランドのFOXEYのデザイナー。

この本は日本の女性たちに対しての「愛」が詰まったメッセージだと私は受け取っていました。

仕事や人生に悩んだ時に、素敵な尊敬する先輩からビシッと指摘してもらえる感じで、何かあればいつもこの本を開くと、必ずヒントをもらえました。

でも、またすぐ大事なことを忘れるんですよ!

その度に、ピンクの線をガーーーーッと引っ張ったところを読んでいって、「そうだった、そうだった」と改めて納得するという繰り返し。

仕事や生き方においての考え方を、こんなふうに愛情持って語ってもらえることって、リアルには少ないと思うのですが、私はこの本の前田さんがいつも叱咤激励してくれてるようで、ものすごく近く感じていたのが不思議な感覚です。

それだけ、しょっちゅう手にとって考え方を吸収させていただいていたからかもしれません。


強運になる人は、清潔で身ぎれい

強運は自分の過去の経験とか知識を総合して作り上げていくもの。

掴んだチャンスを2倍、3倍に膨らませられるか、そのための瞬発力や気の集中は重要。瞬発力を保つためには、気力が充実していないといけないし、体調が整っていなければできない。

チャンスは毎日の積み重ねの中でいつ来るかわからないものだから、スタンバイしていることも必要。

だから、強運になる人は自然と清潔で身ぎれいになっていくもの。

さすがに素敵な洋服を作られている方の考え方だなと感じます。何事においても準備を整えておくことが大事であり、清潔で身ぎれいにしておくということは、準備万端を皆に知らしめていることになりますね。

気力が落ちているときは、お風呂に入り、清める、水に流すを実践されるそう。「嫌なことは捨てる、水に流す、忘れる、通過する、溜めない」これが気力の充実法とのこと。

疲れていたり、嫌なことがあったりした時に、そのままほおっておく人いますよね?自分の身をかまってあげられないほど、それに気を取られている状態になっているということ。

恋人ができない、出会いがないといっている方は、この基本的なところを必ず見直して見て欲しいです。私がサポートさせていただくときは、かなり力を入れてここを強調していると思います。


人に頭をさげるお願いは、相手が拒否することが前提だ

人に何かを頼みにいったり仕事のお願いに行く場合は、相手は他にも選択肢があって、拒否されても当たり前なんです。相手に拒否されて当たり前というスタンスを持ってなかったら、断られた時に傷つく。報われないことの方が当然と思って入れば、報われた時に嬉しい。報われて当然と思っているから、報われない時に腹がたつ。


私は何度この言葉に救われたでしょう。まさに、先輩から上司からビシッと正された感じがします。

自分の説得力のなさ、相手が無理を通してあげようと思うほど今までの自分が真摯に仕事をしてこなかったこと、相手の事情が許さないこともあるのに、そこに対する配慮と謙虚さが持てなかったこと・・・

まずは「自分を反省すべきこと」の方が多いシチュエーションということです。自分の方が「愛」が足りていなかったということなんですね。


自分を表現せずして人が見つけてくれないというのは違うと思いませんか?自分がまず、表現しなくては。自分が頭を下げに行かずして、人が見つけてくれないというのは怠慢だと思います。そして、頭を下げているのだから、もらえて当然というのは、今度は傲慢。

怠慢と傲慢・・・。人に感謝する気持ちがないとこういうことになってしまうのでしょうね。

今でもこんなことを思ってしまう自分がいました。うまく行かないなと感じる時には、何かが間違っている、まずは怠慢と傲慢、感謝の不足。いつもこのフレーズに立ち戻って自分を元の位置に戻すわけです。


言うべき時にきちんと意見を言う

前田さんから見ると日本人は周りから浮かないように気を使っているから、みんなすごく疲れて見えるそうです。

ネガティブなこともポジティブなこともまず自分の意見を言って見ないとことは始まらない。自分が行ったことに対してコミュニケーションが生まれる。
嫌なことに変わりがなくても相手の意見を受け入れて納得してやるか、やっぱり突っぱねると選択するかでは、何も言わないまま我慢して嫌なことをやると言う選択しかないことと、大きな違いがあると思わない?

私から見てもいいも悪いも言わない人が本当に多いように思います。大丈夫です!と言われても、本当に大丈夫?いや、実はそんなことないでしょ?と3回くらいしつこく聞かないといけないくらい、そのくらいしてちょうどいいくらいと聞いたこともあります。

でも、そんな信頼関係がない間柄の人とは、一緒に仕事をするべきではないと私は思います。

前田さんはこうも言われています。

「私はこうしたい」「こうしてほしい」と言うことを自分で言えなければ、たとえ不合理な目にあったり損をすることがあっても、自分の責任として受け入れなければならないと私は思います。待っているだけでは自分の器を狭くするだけです。自分からコミュニケーションを生んでいけば、人間の器は広がっていくものなのですから。

私は何度も何度もここを読んで、これだけは自分の責任としてすべきことだと意識しているポイントです。私たちは与えられた器で生きていくわけだから、その器は自分の責任で大きくすることが必要ですものね。


去る者は追わず、来るものは選んで

最後に恒例の「別れ」についても触れておきたいと思います。

生きていくことは「通過していく」こと。出会いも結婚も通過、離婚だって通過。子供だって自分のところに止めようとするのではなく、通過するまで預かっているだけと考えてはどうでしょう。人が去っていくことを悲しんではいけません。通過点の一つでしかないと言うふうに考えられれば、必要以上に落ち込むことはありません。人の気持ちなんだから、こちらが努力して無理やりどうにかできるなんて思わないことです。

何事も自分のところにとどめておいてはいけないと言うことなのでしょうね。愛犬のマリアも通過していくまでに預からせていただいていたと考えると、とっても楽になります。

お別れの捉え方も著者によって本当にたくさんのバリエーションがありますが、みんな愛のある捉え方だと思います。

いつ読んでも元気付けてくれる本です。これもいつか自分のところにとどめておくのではなくて、手放す、通過する日が来るのかもしれませんね。まだ手放したくない本です。

それでは今宵はこの辺にしておきます。

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