【自己紹介】わたしが小説を書く理由
はじめまして。
まりあるなと申します。
あなたには、忘れられない人はいますか?
わたしには、34年間、おもい続けている人がいます。
34年目にしてやっと、そのおもいに納得できる“こたえ”を見つけることができました。
それがベストな選択なのかは、自分でも正直わかりません。
きっと、それを否定する人もいるでしょう。
だけど、ただ今は、そう決めて生きていこうと思っています。
出逢いから“ひとつのこたえ”に辿り着くまでの、34年間の恋の軌跡を、自叙伝的な小説としてnoteに綴っていきたいと思います。
わたしが小説を書く理由①
想い出と思考を整理したいから
この恋は、わたしにとっては、とても大切なものです。今は自信をもって「大切なもの」と言い切ることができますが、忘れられなくて、この恋に執着してしまう自分から、長い間、解放されたいと願っていました。
失恋を引きずり続けた時期
辛くて苦しくてどうしようもない時期
感情を押し殺して抑え込んでいた時期
自分が誰なのかわからなくなってしまった時期
相手を恨んでいた時期
後悔に苛まれていた時期
罪悪感に押し潰されそうな時期
このようなネガティブな感情を引き連れながら生きてきた過去を、ひとつひとつ丁寧に思い出し、その当時の感情と向き合い、その当時のおもいを昇華していく作業は、わたしを癒しへと導いてくれました。そうしていくうちに、過去のできごとに対する捉え方が変わり、この恋を「大切なもの」と思えるようになりました。
過去と向き合い、想い出と思考を整理する作業を形として残したい、というのが小説を書く理由のひとつです。
わたしが小説を書く理由②
苦しい恋に悩む人に伝えたいから
忘れなきゃいけない。忘れられない。
この葛藤に苦しんだわたしを救ってくれたのは、あることがきっかけでした。そのときの気づきが、今もわたしを支えています。
10代の頃は、まだインターネットがない時代だったので、雑誌の恋愛特集を読んだり、友だちのアドバイスを訊いたりして、忘れる努力をしていました。ですが、どこにもわたしが救われる方法は見つかりませんでした。
今では、忘れられない恋や、失恋を乗り越える方法は、検索すれば、たくさんの考え方や方法を見つけることができます。そうとはいえ、わたしが救われた、忘れられない恋に対する考え方・捉え方は、もしかしたらレア?な方法かもしれません。(自分がレアケースだと思っているだけかもしれませんが)
この方法が、同じように苦しんでいる人の心に刺さるものであるなら、わたしの経験を役に立てていただけると嬉しく思います。
「回避依存症の彼を変えたい」は最悪な考え方だったから
どうしてこんなにも苦しい?
彼の言動に納得がいかない!
なぜ? どうして?
そうやって、もがき苦しんでいるときに出会ったのが恋愛依存症という概念です。
その概念を知って、自分が恋愛依存体質で、好きな人に依存しているから辛い、ということは理解できました。それと同時に、相手が回避依存症だと(わたしの判断ですが、そう感じます)知ることになるわけですが、だからといって、そう簡単に苦しみから脱することはできませんでした。
相手の不可解な言動の根源は理解したものの、原因が把握できたことと、相手と良好な人間関係を築くことは、まったく別物だったからです。
回避依存症の相手に対して、こういう言動はNGだ。対応マニュアルを手にしたわたしは、心を開いてもらうために、相手の地雷を踏まないように気をつかい、我慢ばかりしていました。
恋愛依存症+回避依存症=共依存。この関係を再構築するためには、自分が努力しただけではだめじゃないか? なぜ自分だけ相手に合わせているのか? そんなふうに相手に不満を抱くようになりました。ところが、それは最悪な考え方でした。
ツインレイから解放されたから
恋愛依存、回避依存に気づくと、そこからツインレイ概念に辿り着く人も多いのではないでしょうか? かくいうわたしも、そのひとりです。
今となっては、(いい意味で)どうでもよいことなので、あまり深く言及しませんが、自分たちの関係はツインレイか? ツインレイなら統合するはずだ! 統合を目指さなくては! 統合のために〇〇しなければ……などなど、ツインレイに執着し、ツインレイに縛られていた時期がありました。ところが、だんだんと自分が変わっていくにつれて、ツインレイに拘らなくなっていきました。
だからといって、ツインレイもスピリチュアルも否定はしていません。ツインレイがきっかけでスピリチュアルなことを学んだ結果、プラスになったこともたくさんあるからです。相手のこともツインレイだと思っています。
回避依存症だから……ツインレイだから……からの卒業
「回避依存症の彼を変えたい」「ツインレイだから〇〇だ」という考えを手放すことができてから、苦しかった気持ちがずいぶん楽になったように思います。
回避依存症とツインレイは、人生後半に出会った概念です。人生後半のストーリーは、まだ言語化していないため、小説の中でどこまで触れるかは未知数です。具体的な表現は避けるかもしれませんが、自分が変容していく過程において、大事な要素であることは事実です。
もしもあなたが、回避依存性やツインレイという言葉から、このnoteを見つけてくれた人だとしたら、相手やこの恋に対する捉え方が変わっていく過程を、小説を通じて伝えられたら……と思っています。
最後に……
きっとこのストーリーは、読んだ人の捉え方によって、感想や解釈が大きく異なるものではないかと思っています。
結局は中途半端?
嘘のかたまり?
自分がかわいいだけ?
誰かを騙して傷つけている?
覚悟が足りない?
それでしあわせ?
ただの自己陶酔?
たいして好きじゃない?
納得しているといいながら、こういう否定の言葉に負けそうになります。
小説を書くことは、否定されて、叩かれて、傷ついて、不安定になって、ネガティブな方向に引っ張られてしまっても、それでも決めた“こたえ”に戻そうとする決意表明なのかもしれません。
このnoteを見つけてくれてありがとうございます。
こんなわたしですが、どうぞ宜しくお願いいたします。
この物語は、実話をもとにしたフィクションですが、登場人物等はすべて架空のものであり、この小説のすべてが事実ではありません。また、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
☆画像はこちらのサイトからお借りしました。ありがとうございます。