ある日突然、ダブルケア。3
母をリハビリ病院へ送り届け私は自宅へ帰った。
4月から長女を保育園に預け仕事に復帰していた。自宅帰れば家事もこなさなくてはないけなし母ばかりに手を掛けてはいられない。
とにかく母にはリハビリを頑張ってもらい、できる限り自分のことは自分でと願うばかりでした。
フルタイムで働く私は子供を朝、保育園へ預け夕方迎えに行き食事の支度や片付けや保育園への連絡帳作成などの毎日。
母の様子が見れるのは休日ぐらいで洗濯物もまとめて持ち帰りまた休日に持って行くのを繰り返していた。
母は右側麻痺の失語症、言語のリハビリもしていたがなかなか言葉がでない。
私の名前も出ない、おーい。あれ。これ。ばかりでリハビリのおかげでトイレ、寒い、などジェスチャー交えて少し言える単語もある。
でも、全然会話にはならない。
不思議なことに、孫の名前は良く言えた。娘の名前は言えないのに!
リハビリのおかげもあり、立ち姿や歩行もしっかりしてきた。階段の練習も始まり自宅での生活が送れる目処も立ち始めた。
かと言って1人では生活できるレベルではなく介助が必要な状態。
父は夜勤の仕事をしていたので父と母だけの2人での生活は難しいと思った。
介護認定を出す時期になり、母は健常者ではなくなり障害者になった。
要介護3の障害者手帳は1級となっていた。
母はリハビリに専念し、私は自宅へ母が帰った時の為の準備が始まる。
リハビリ病院の指導員やケアマネージャーのもと、トイレや玄関に手すりをつけ、福祉用具の手配もした。
4点杖や車椅子、電動ベッドはレンタルで。
母の座る介護仕様の椅子はたまたま通りかかったリサイクルショップで見つけた。
食事も左手で口まで運んで何とか1人で食べれていて胃ろうも回避できた。
後は、デイサービス探しだ。
ケアマネージャーと話し合った。
私も父も仕事があり、なるべく朝早くから夕方まで行けてショートステイありの施設。
ほんとはリハビリもある施設が良かったが
一長一短なかなか思う施設はない。
母の退院も近くなりデイサービスも決まり始めた。
話し合いの結果、私達と両親の二世帯での暮らしが始まる。