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《介護が始まった6》

前回の記事です。

そんなこんなで最高に幸せな3日間は惜しまれつつ(ほんとに惜しかったよ!)終了し、母はまた濃い霧の中へと沈んで冬眠状態に入ってしまいました。冬眠から目覚めてた3日間に話したことも、お願いしたことも、全てゼロに逆戻りしてました。

まぁそうか。

認知症と診断されなくても状態がほぼ同じ感じだったので(この時期、めっちゃ本やブログ、そしてもちろんnoteも読みまくってました)、これはもう認知症の介護が始まったなー😮‍💨と徐々に腹を括り始めたんです。

前回の最後の方にチラッと書いたように母のマンションのお部屋から余計なものや、あの状態の母には不要なものを全部持ち帰って、代わりに必要と思われるもの(リハパンなど)とサービスなどを手配しました。

だって自分で自分のこともできず、ただひたすら寝てるかボーッとしてるだけの母は、あれだけ欲しいと、それだけは欲しいと懇願してたパソコンも使えませんからね。最初に電源コードを抜き、マウスをしまい、最後にPC本体をデスクの下にしまいました。徐々に徐々に。どこかで気がつくかなぁ?とも思ったけど、PCが目の前から消えても何も言いませんでした。

まぁ、実際にちゃんと使ってたら電源コードの段階で気がつくか、自分で🔌コンセントを入れてたと思うし。やっぱりなぁ、と思いながら本格的に介護の環境を整えるべく動きはじめました。

介護保険の申請
担当者会議
デイサービスの手配
各種身分証明書の準備
(これについても後日書きます)


3回目のワクチンも接種にも連れて行きました。

お引っ越ししてるので2回目までは実家近くで接種してます。3回目接種に連れて行くのは私も接種した私の掛かりつけ病院にすることにして、コールセンターに予約の電話をするともちろん新しい管轄にはデータが無いわけです。情報を全て伝えて、電話の向こうのスタッフさんがデータの確認をするのを待ちますが、これがまたやっぱりですがうまく確認ができないみたいで。コールセンターも相当混乱してますね。

何度か電話のやり取りがあってやっとデータの確認が取れて、予約も取れました。電話したのが本人じゃないのも、これまたちょっと大変でした。でもねー、本人が予約できない状態の人も多いんじゃないでしょうかね。実際、お役所でも「オバの件なのですが…」って仰ってる方もお見かけしました。少しずつ変わっていってくれたらと思いますが、変わるのかなー。


ワクチン接種を無事に終えて、母はまた眠りの国へ。介護認定はまだ申請中でしたが、そうも言ってられないので先行して介護サービスを申し込みました。

まずは服薬管理を。

とにかく服薬をきちんとできてないのは、健康ひいては生命に関わってくる重大なことなので、自費ぎゃー!😱!とか言ってられません。金額を見てちょっと腰が抜けそうになったけれどお願いしました。サ高住でしかも介護施設が併設されてて良かったと実感したのは、スタッフが常にいるからきめ細やかな心配りもして頂けた時でした。今思っても、お引っ越しの決断もタイミングも本当にギリギリセーフでした。

トイレはたまに失敗してるようで鬼のように洗濯乾燥機を回してたので(行くといつも稼働してた)、とりあえずリハパンを買ってトイレにそっと置いておいたら使っていたようです。一度、リハパンまで洗濯機に放り込まれ、全てが紙まみれになってました(泣)これは夫がコロコロとガムテで丁寧に取ってくれました。私はガックリしてしまって。

洗濯乾燥機はお引っ越し前から母がいいのが欲しい!入院してた大病院のみたいなの!と言ってまして、病院のはムリだけど高性能なものを購入しました。自分がトイレを時々失敗してた自覚があったのでしょう。洗濯だけはこだわってました。母のプライドが見えた気がします。もう自力で屋外に干せると思わなかったので、モードは常に「洗濯乾燥」に。洗剤と洗濯カゴだけは認識できていました。

人間って本当に不思議ですねぇ。

母の頭の中からは「洗濯」以外は何もありませんでした。かろうじてトイレに行く以外は起きるのも、お食事に行くのも、お風呂に入るのも何もかもできなくなりました。サ高住のスタッフさんにお食事の送迎をしてもらい、服薬も管理してもらい、あとは寝てばかり。


そして次に問題になったのが
👚着替えと🛁入浴

こんなに可愛ければいいんだけど😆

洋服は私が通って着替えさせてました。あんなにお洒落だった母がコーディネートどころか、季節に合った服も分からなくなり組み合わせも変なことになっていて、それを見るたびに心がえぐられる思いで帰り道は涙で霞んでました。

入浴🛁は、サ高住に併設されてる訪問介護サービスからスタッフさんに来ていただくよう手配しました。しましたが…😩これがもうもの凄い拒絶にあったらしく、2回ほどトライして撤収😫死にはしないと親戚に慰められ、呆れて放置するしかありませんでした。何回かは私がお湯を張って放り込みましたが、どこまで洗えてたかな…。洗髪は✂️美容院へ。

髪の毛は自分で乾かせないのよ!
美容院でやってもらうからいいのよ!

と仰ってましたが、誰がその予約をし、美容院まで送迎するのか…。分かっていらっしゃいますぅ??と思いながら。

お引っ越ししたばかりの母は、美容院がどこにあるかも地理も分かりませんからねぇ。しかも方向音痴!私も引き継いでますが💦

入浴も洗髪も冬で良かったです。ほんとに。


そんな状態の母の介護をしながら、環境を整えていったのです。

『介護いちねんせい🔰』です。
情報収集とグチをこぼすためにSNSを始めました。

藁にでも縋りたかったし、グチをどこかにかき散らかさないとやってられませんでした。noteを始めとしたSNSの世界には、親の介護で苦しんでる人が山ほどいらっしゃいました。これは本当に変わらないとダメだと思います。変えないと。どうしたら変わるんでしょうね。色々考えたのですが難しい問題ですよね。個人々々の力でどうかなる問題のようには思えません。

私の場合で言えば母の担当となったケアマネさんが偶然お友達だったこと、もの忘れの担当医師も夫の知り合いにお願いできたこと。夫が支えてくれたこと。周りのお友達たちも親の老後問題を考える年齢になってきたため(私の両親は私の親としてはちょっと年齢層が上です)、お互いにグチり合うことができること。もう両親とも見送った従兄従姉たちが介護の経験者だらけだったこと。そのうち近所に住む従姉が、私より数年先に介護を始めてたこと。これらのことがすごく救いになりました。

それでも豆腐メンタルの私は、ものもらいに始まりぎっくり腰や歯のトラブルと体に症状が出始めました。これが、なかなか母の介護や手続きを素早く進められなかった一因です。