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御三家/鉄緑会中退エピソード 〜パニック障害/鬱病〜

今回で2回目の投稿。書くことで整理する、気持ちの波を受け入れる時間を持つ心的葛藤の昇華、そんな目的でもいいかもしれないな、と思いつつ難しい話題に入っていきたいと思う。

さて、今回から何回かに渡って、私が留学するきっかけともなり、留学を一番に阻む敵でもある心の病気について。

教科書や本屋で買ったらグジャグジャと一般論は書かれているけども、そうではなく、何となく自分が戦う上で感じる苦しさを言語化していきたいと思う。

まず私は無神論者、唯物論、反出生主義者です。逆にこう強く思わないと辛すぎて生きていけなかった。

基本的に国は安楽死を認めるべきなのではないか、と思っているし、精神疾患、心理的側面の自分なりの分析はまた、次の記事や自分なりの体験、今まで触れた人の意見などで触れていきたいです。

とりあえず、今に至るまで、ささっとなぜこういう考えに至ったか、できるだけすらっと(と言っても長くなるんだけども)話していきたいと思う。


苦しい、という感情

苦しい、という感情は人間誰しも持つものだと思う。毎日かもしれない、もっと頻回かもしれない、あなたが感情をスッと受け流すのが上手い性格ならあまり感じないなあと思う人間かもしれない。

自分自身は少なくともここ数年は毎日、苦しい。その苦しさは思春期の頃の人間関係に押しつぶされそうだった記憶やそういう類のものの辛さではなく、対象物がなくとも発作的に起こり、時に自殺企図に至るほど強い衝動性を兼ね備えているからこそ、「これは病気なんだな」と自覚している。
今回は私自身のエピソードについて話させて頂くが、次回は感情の面に(苦しさ含め)足を踏み入れていきたい。

私自身の経歴を話すと冒頭に書いたとおり、中学受験でいわゆる某私立御三家の女子校に合格し、鉄緑会に通う、いわゆるエリート街道を歩んでいたが
高校2年時、突如パニック障害に苦しむようになり、中退をしている。
それまでは鉄緑会で上位コース(レギュラーコース)に在籍し、数学が大の得意で小学生の頃から大好きで、得点源で、何となくこのままどこかの上位国立医学部に合格できるだろう、という望みを持ちながら、

地下鉄の路線図で目が眩む東京のエリートの仲間入りをした気分でいた。実際はそんなことはなかったんだけども。


〜高校1/2年時の生活〜

当時自分は何かに魅せられたように、まるでマシンのように勉強をし続けていた。第一志望は名古屋大学医学部。鉄緑会の高校2年時からのキツさは半端ではない、という噂は嘘ではなく、自分自身塾を追加したり、好きな勉強に時間を費やしていたのもあって一日14時間(学校の授業の内職を含め)はゆうに勉強していた。これが人類の限界なのではないか、と個人的に思う勉強の仕方だった。
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朝6時起床でイヤホンで英語のリスニングをしながら自転車で駅に向かい、
ホームから電車内は常に3つ(鉄緑会指定の鉄壁/自分用の英検一級/学校指定のDuo)持ち歩いていた単語帳のうちのどれかをやる。
学校到着後はすぐさま鉄緑の宿題の内職に入るか、自分が毎日欠かさずやっていた京大の英語過去問の全訳作業に入るか、その後礼拝(学校が透けちゃいますね)まで勉強
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一限始まったら科目に応じて内職をかなり堂々と(ごめんなさい反省してます)行い、六限のうち一限は睡眠時間に使い、学校にいる時間はフルでできる限り受験勉強にあてつつ、学校の課題もこなし(学校の課題を家に持ち帰らないのは絶対)そのまま鉄緑か追加で他に2つ塾へ行っていたのでそっちへ(週6塾でした)
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鉄緑でもできる限りその場で宿題を終わらせて、塾後の夜の帰りだけは英語のリスニングの代わりに好きな曲を聴くことを許していた。でも家に帰ったら即その日の鉄緑の宿題をこなすか何かしらのやりたい勉強をこなし、みんなが一周するところを一週間で三周できるように時間を作っていた。就寝時間はいつも3時頃で、頭が冴え切ってるせいか、寝つきが悪く4時くらいになるのが普通で、
「今日も3時間弱しか寝てない」、そんな状態が普通だった。
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ただ若いとはすごいものでそんな生活でも数ヶ月は何とか保てるものだった。当時のエネルギーと後先の考えなさは今でも敬服するものだ。


高校2年夏の挫折


ある日ポツンと時間を計られた数3積分の問題をいつも通り解こうとした時、急に頭が真っ白になって胸の中で動悸がひどくうねり始めた。座ってられなくて、立った。立ってられなくてどこかのソファに倒れ込んだ。


当時、高2の5月頃から離人感を頻回に感じるようになっていた。


例えば、問題を解いているはずなのは自分なんだけども、心は自分を外から俯瞰して見ているような、そしていつの間にか回答が出来上がっている、そんな、自発的ではない「させられ体験」を何度か起こしていた時の出来事だった。
頭を動かさず、体が処理している、と言えば聞こえはいいものの、心がついてこない。(この、心とは、意識とは、何か、脳なのか、クオリアの問題についても大変深いので後日記事で触れていきたいなと思う)

人に言われたことや何かの学校のスケジュールもどんなに大事なことでも随時細かく全てメモらないと、一瞬で記憶が飛ぶようになっていて、解離現象に近いものを自分は味わったと認識している。
その後、「どんなに重要性の低い小テストでも時間を計られると、動悸が止まらなくなり、文字が頭に入ってこず、過呼吸になる」ことが続き、次第には授業中人の話をじっと座って聞いていることすらできなくなった。


突如泣き始めたり、動悸が止まらなくなり、「心が壊れるってこれか」と少し感じていた頃に精神科を受診し、勉強のドクターストップがかかった。


とりあえず受験勉強のことは考えず、学校に行くことはいくだけにして見たもののそれでも、進学校である以上、避けて通れない小テストや授業での負担は大きく、私は夏休み後1日だけ登校し、それも早退し、退学せざるを得なくなった。


その後もテストや講義の場面でのパニック障害は改善せず、ひいては駅などにも対象は広がり、徐々に気持ちも塞ぎ込み、抑うつ状態となった。

カルテ上にささっと記載するなら、流れはこんな感じだろう。


イタリア医学部を選択した理由も、私大(Unicamillus大学)は時間を測って追い詰めるような入学試験の形態は取っておらず、IQ試験と口頭試問のみ(高卒認定でも可能/Ieltsの点数不要)入学要件が低いというのが決め手で、それしか選択肢がなかったためである。英語で勉強したい、という強い願望も叶えられるというのも勿論ポジティブな面の理由の一つだが。


長くなったので鬱病の苦しい、と希死念慮の重たさについて記載したかったのだが、次回の記事で書くことにする。
またUnicamillusの入学試験や高卒認定から海外大学を受験する方法なども折に触れて書いていきたい。


今回は長くなったのでまた!!自分の話多めですみません🙇





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