谷川俊太郎展 - 豊かな語彙の海を泳ぎ、日本語を噛みしめる幸せ
http://www.operacity.jp/ag/exh205/
谷川俊太郎展 at オペラシティアートギャラリー 2018.03
とても良い展示だった。
日本に帰ってきて思うことは自分が日本語を母語としていてよかったということである。
英語を使うとき、自分が理解できる解像度に絶望することがあった。
もちろんアカデミックな読み物の意味はわかる、単語を調べれば理解できる、しかし結局はその言葉を選び紡いだ人の心を少しでも知りたいと、意図を掴みたいと思ったときに、その言葉が持つささいなニュアンスや意味を私はどれくらい把握できるのかという問題だ。
たった26文字の文字で構成される英語で自分の脳みそをうごめく思考の解像度をそのままで出力するのにはあと10年くらい英語を主要な言葉として暮らすしかないのかもしれないと思った。
特に英語の詩を読むとき、韻はわかるし、楽しいけれどどうしてこの言葉を使うのだろう?というなぜなのだろうと思うことが多い。その言葉を選んだ背景にある文化や慣習までは汲み取れない。
日本語の場合、平仮名、片仮名、漢字の3種類の文字を使い、とんでもない些細なニュアンスを表現できてしまうこの言葉を第二外国語として使い熟すのは本当に大変なことだと思う。
そして、谷川俊太郎氏の展覧会を見て、改めて彼の豊かな語彙の海を泳ぎ、100パーセント噛みしめることができて幸せだなと思った。
幼稚園に上がるか上がらないとき、たくさんの詩や俳句を覚え(させられ)たのだけれど、意味もわからないながら口ずさんだ言葉を心の中で音読しながら展示を見た。
綺麗な明朝体は1つ1つの言葉を私の心に刻み付けていった。
今回の展示、詩をいかに展示するのか興味を持ったけれど、彼の「自己紹介」の詩がそのまま展示になっている。
よくある年譜順にあるトピックごとに章立てられた展示構成ではなく、詩を読んで、そこに含まれたトピックが空間に散りばめられていた。不思議な展示だけれど、すうっと心に、身体に入っていく展示だった。
20億光年の孤独、直筆の言葉を心の中で読む。泣きそうになる。
手書きの文字、明朝体、パネル、本、映像などいろんな媒体に詩が刻まれていた。展示を見ている人がみんな懐かしそうな、嬉しそうな顔をしながら詩を噛みしめているのも印象的だった。
展示を見て、初めて、見ている人も含めて絵になっている展示 。
不思議な展示だったな。見れてよかった。